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旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル1 3月15日 / Idus Martiae

ヨーロッパの人は3月15日(ラテン語でIdus Martiae)というと、それが何を意味するのかほとんどの人が知っているといいます。日本で3月15日といえば中学や高校の卒業式?と連想しますが、ヨーロッパで3月15日といえば、それはユリウス・カエサルが暗殺された日として記憶されているのです。

紀元前44年の3月15日にカエサルは共和政主義者(元老院派)に暗殺されました。カエサルは55歳でした。

終身独裁官となった後も、ローマ人のアレルギー「王位を望んでいる」とういう人々の誤解をさけるために護衛もつけず、反対派の人間を処罰することもなく過ごしていたカエサルでしたが、この日、元老院議会場の中で14人の共和政主義の元老院議員に短剣でめった刺しにされ命を落とします。身体中に残った23ヶ所と言われる刺し傷のうち、致命傷となったのは胸を貫いた一突きだったといいます。

元老院派がカエサル暗殺を記念して発行されたローマのコイン。首謀者ブルータスの横顔、3月15日を意味する"EID-MAR"。その上に暗殺に使用した短剣プギオ(Pugio)と自由の帽子「ピレウス(Pilleus)」が模られています。

カエサルは取り乱すことなく、最後に、自分の遺骸が醜くならぬよう血に染まり乱れたトーガを整えてから息を引き取ったといいます。カエサルは最後まで立ち居振る舞いを崩すことはなく、最後の最後までカエサルでした。

カエサルはなぜ暗殺されたのか

ローマの共和政500年の歴史の中で繰り返されてきたのは、独裁への嫌悪感と、元老院による突出した人物への警戒、元老院議員の既得権の維持でした。そのために改革を行おうとすると既得権を奪われる貴族階級に潰され、優れた政治家が現れれば「王になろうとしている」と排除してきた。カエサルは王位を望んだわけでも、権力が欲しかったわけでもなく、国としてのローマの衰退を食い止めローマを再構築したかった、地中海をとりかこむ広大な領域をローマが統治するようになり、共和政体というシステムが国の形に合わなくなったことが明確となったため、帝政という新たな政体に移行させようとしたに過ぎなかった。しかしその事を当時の元老院議員の多くが、残念なことに理解することができなかった。カエサルの構想を理解できないまま、共和政ローマとして広大な領土を統治する方法もわからないまま、共和政主義を掲げる議員がカエサル元老院最終勧告で「国賊」に指定して、最後は元老院議会場で暗殺する、という愚を犯してしまったのです。

 

暗殺直後のローマ

暗殺の舞台となったのは元老院議場となったポンペイウス劇場。現在はアレア・サクラ(アルジェンティーナ広場)と呼ばれるこの遺跡がわずかに残るのみです。

カエサルが暗殺された直後、ローマの街は異様な空気が流れていました。暗殺者たちはなんともお粗末なことに、カエサルの暗殺後のプランを何も考えていなかった。民衆の指示がどうかすら想定しておらず、事を起こしてからローマ近くに駐留しているカエサルの軍団からの報復を恐れ、散り散りに隠れてしまう。そして市民も他の人間もみんな、また内乱が始まることを恐れて街からいなくなってしまった。
そんな中、ポンペイウス劇場に放置されたカエサルの遺体はカエサルの幼馴染の奴隷たちが命懸けで回収し自宅に運び込みました。ローマの奴隷は近代の奴隷とは異なり、主従でともに暮らし、ともに成長する家族のような存在だったことは前前回お話しした通り。カエサルの奴隷たちも、幼ないころから共に過ごし、ともに成長した者たちでした。

そして、ローマから逃げた共和政主義者を尻目に、カエサルの後継者はカエサルが期待した通りに着実に動き始めのです。

 

巨大なほうき星

カエサルから後継者の使命を受けたオクタヴィアヌスは3月15日の約4ヶ月後、カエサルの誕生月である7月に、ローマでカエサルを讃える競技会を開催しました。7月20日から28日まで剣闘試合や戦車競技など、カエサル追悼の催しが盛大に続けられました。 この時、初日から7日間、ローマの夜空に大きなほうき星が現れた。これを見た人々は「カエサルが祭りに出るためにローマに戻ってきた」「カエサルの魂が不死の神々に迎えられた」と噂したといいます。 この彗星はハレー彗星であることが科学的に証明されており、当時かなり大きく夜空を覆ったと言われています。もちろん本人は意図していないにしても、最後の最後まで派手に民衆を楽しませる、カエサルとはそういう星のもとに生まれたのだと思わずにはいられません。

*紀元前18年、初代皇帝アウグストゥスにより発行されたコイン。左はアウグストゥスの横顔、右はカエサルの追悼競技会を行った時に空を覆った彗星=カエサルを表しています

 

カエサルの墓

カエサルの遺体はフォロロマーノのこの場所(三角の屋根で覆われているところ)で火葬されました。後にオクタヴィアヌス(初代皇帝アウグストゥス)によりカエサルは神格化され、ここにはカエサルの神殿が建てられました。

火葬によってカエサルの体が灰になった直後、突然大雨が降ってきます。カエサルの灰はこの雨ですべて流されてしまいました。よってカエサルの墓は存在しません。

カエサルが火葬されたとされる場所が下の写真。ここには花が絶えることがないといいます(観光のための演出とはいえ)。

カエサルは絶世の美男子ではなかったけど、とにかくモテたといいます。この場所に来ると、たいてい女性ガイドが団体さんをつれてきて、この場所の説明が始まるんです。そして、ガイドさんが自ら花を添え、最後にこう結びます。
カエサルは今でもローマ中の女性をとりこにしているのです。だからここには花が絶えません。」

ユリウス・カエサル。人類史上屈指の天才、政治家であり軍人、それでいて民衆にとても身近な存在。それは彼が生きてた当時も、今も変わらないようです。

 

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