cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル小話 自分の考えに忠実に

カエサルは内戦を通じて、これを「人間世界の悲惨」にしてはならないと考えていました。なので自軍の兵に対して、降伏した相手には危害を加えず、勝敗決した後も街や人々に対しての略奪行為は一切禁止して、元々同胞であるローマ人の命はもちろん街や財産も守ろうとしたわけです。

◾️カエサルの寛容(クレメンティア/Clementia)

カエサルポンペイウスを追って、ブリンディシへ向かう途中にコルフィニオという街がありました。そこにはポンペイウスが「カエサル進軍阻止」を命じ放った側近エノバルブスが軍勢率いて待ち構えていたのです。

しかしコルフィニオで待ち構えたポンペイウス軍の兵士たちは、街の外でモノすごい速さで陣営地を築き、戦闘準備を行なっているカエサル軍の姿を見て、戦う前に戦意を喪失、あっさり降伏を選択します。そして逃亡しようとした、司令官エノバルブスを捕えカエサルに自分たちの恭順の証として引き渡すことにした。

そしてカエサルを前にしたポンペイウスの兵士たちは、武装を解いて自分たちの司令官エノバルブスを差し出した。

これに対してカエサルは、ポンペイウス軍の兵士たちには自由を、敵将ポンペイウスの側近であるエノバルブスさえも何の咎めもなく釈放します。自由にしたポンペイウスの兵士の中で、カエサルの軍に加わりたいと意思を示した者に対しては、温かく自軍に迎え入れたのでした。エノバルブスに限らず、カエサルは内戦を通じ敵を許し続けます。

当時、敵方でありながらお互い文化人として手紙を送り合っていたキケロが、このエノバルブスの一件を自派の将軍ポンペイウスと比較しながら、カエサルの行動を賞賛する手紙を送ってきた。その返事として交わした手紙の中で、カエサルは次のようなことを記していました。

◾️自分の考えに忠実に

「私が自由にした人々が再び私に剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもまして私が自分に課しているのは自らの考えに忠実に生きることである。だからほかの人々もそうであって当然と思う。」 

元々建国当初からローマ人は「寛容」な人々でした。戦った敵であっても、敗者を許す。許してローマ世界へ組み込み同化することを常としていました。征服ではなく同化して仲間を増やしていく。これは当時弱小国だったローマが生き残るために必要な行為であり、またこの「寛容」は弱小国ローマを強大な国家へと変貌させた大きな要素となったのでした。そしてローマが強大になって以降も、「寛容」は受け継がれ、やがてそれは実益に加え、何よりローマ人の精神や誇りへと昇華したと言えます。カエサルは、この「寛容」の精神を正統に引き継いだ一人であったわけです。

しかし、カエサルが内戦を通して示した「寛容」は、従来のローマ人のそれとは少しだけ質が違うように思えます。カエサルは「寛容」によって許した相手に対して、同化すら求めませんでした。おそらくカエサルは許した相手が全員カエサルの考えを理解してカエサルに従うなどとは思わなかっただろうし、その結果いつか命の危険に繋がるであろうことを、カエサル自身がわからなかったわけがない。それでもカエサルは「カエサルの寛容」を貫いた。

カエサルは内戦を通してエノバルブスのようなポンペイウスの側近やバリバリの元老院派の人間、反対派の人間ですら、許して自由にした。この内戦で示した「カエサルの寛容」とはなんだったのか?

自分の身に危険が及ぶことになろうとも選んだ、「自分の考えに忠実に生きること」とは何だったのか?

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com