カエサルが意を決して渡ったルビコン川は、トスカーナを流れアドリア海へ注ぐとても小さな川。と、いわれている。アドリア海に面した街、リミニのすぐ北のあたりに、現在ルビコーネと呼ばれる川が流れていて、これが当時のルビコン川である可能性がとても高いとされる。でも当時のルビコン川はいくつかの支流に分かれていたこともわかっており、ルビコーネがルビコンなのか、カエサルがどこを渡河したのか、正確な記録は残っていない。巷では、このルビコン川がどこなのか、カエサルが渡った場所がどこなのかの論争は絶えることがないらしい。
カエサルは天才だけど遅咲きで、早くから出世街道を爆走したポンペイウスとは対照的です。カエサルの青年期は弁護士業を開業するけど鳴かず飛ばず、留学で海を渡れば海賊の人質になったり、黒い大物議員を弾劾しようとしたら逆に命を狙われ逃避行したり。失敗もするし、負けもしてきた。
なんとなく常勝のイメージが強いカエサルだけど、決してひたすら勝ち続けたわけじゃない。無茶な勝利による名誉よりも部下の命を優先したし、ローマ人としての栄誉である勝利の栄光や凱旋式の挙行よりも実を優先した。感情に帰することのない目的を見据えた者の境地といえます。だから、同世代の他の人材が派手に出世していくのを横目に見ながら悔しがることもなく、焦りとか後ろめたさとかとも無縁に時を過ごしてきたのでしょう。
他人と自分を比べて劣勢であれば奮起する、優勢であればもっと高みを目指したり、弱者へ手を差し伸べる、であれば世の中素晴らしいのだけど、大抵の場合、人は他人と自分を比較して、劣勢であれば嫉妬して、優勢であれば優越感に浸り慢心してしまう。これはおそらく人間の本質で変えようがない。2000前カエサルが生きたローマも、僕が生きている今の日本も同じ。
「自分の考えに忠実に」生きたカエサルは、ローマの未来のために、当時だれも見ることができなかったローマ衰退という現実を目の当たりにして、ローマの新しい姿を設計して実現しようとしていた。そのことを当時ローマの中枢であったはずの元老院すらそれを理解することができなかったのは残念で仕方なかっただろう。
「人間誰しもすべてが見えているわけではない、多くの人は自ら見たいと思う現実しか見ていない」というカエサル言葉はこんなところから生まれたんだろう。
それでもカエサルは同時代のローマ人たちにせめて自分と同じように「自分の考えに忠実に」生きて欲しいと願ったわけです。
だから、カエサルは内戦に躊躇したし、内戦始まった後も決して感情に流されることなく、敵っであっても許すのです。
ユリウス・カエサルのルビコン渡河の様子は、時代を経て語り継がれてきました。そして後世の人々(主に欧米人)が何か人生の一大決心をするとき、「ルビコンを渡る」や「賽は投げられた!」という表現を使いつづけているのです。