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カエサル小話 ガリア戦記と内乱記

ガリア戦記と内乱記。

今では「ガリア戦記」「内乱記」として本屋に並ぶ名著ですが、もともとはカエサルが本国ローマへ報告書として書き、刊行されたものです。カエサルのこれら報告書は、その洗練された文章からラテン文学の最高傑作として、刊行当時から絶賛されていました。もちろんラテン文学としてだけでなく、一級の軍事教書であり、インフラづくりの教科書であり、民俗学・風俗文化の歴史資料であり、「報告書」として最高のお手本であり、誰もがワクワクする冒険物語でもある。カエサルが残したこの二つの戦記は、後世に脈々と引き継がれて、今では日本の本屋でも購入することができるのです。

1678年の写本

1783年の写本

ガリア戦記」「内乱記」はともにカエサルの作品ですが、その性質はずいぶん異なります。

 

ガリア戦記(Commentarii de Bello Gallico)

紀元前58年〜51年にかけて、カエサルガリア(現フランス)、ゲルマン(現ドイツ)、ブリタニア(現イギリス)といった当時ローマ人未踏の地での、当時は未知の民族との戦いを全8巻で綴ります。単なる「戦記」ではなく知らない土地の風土文化の描写から、多様な民族の構成から性格から、そこに生きる動植物までが生き生きと綴られていきます。戦いとなれば、その背景や意義、会戦に至るまでの陣営地の作成、包囲網や攻城兵器制作過程まで克明に記し、特にライン川にあっという間にかけた橋の描写は細かく楽しそうですらあります。また戦闘となれば自軍の布陣から相手の布陣、戦端がどう開かれて、どんな戦いが行われたのか、どんな流れで戦局がすすみ、どんなふうに決着し、後処理はどうしたか。。。これらがカエサルの口から活き活きと語られ、側近がそれを書き留め「口述筆記」されました。毎年1巻ずつ首都ローマ刊行され、市民を熱狂させたといます。

 

内乱記(Commentarii de Bello Civili)

紀元前49年1月に元老院最終勧告によってカエサルが「国賊」とされてから、「賽は投げられ」ルビコン川を渡るころから、ファルサルスでポンペイウスを破って実質的に内戦が決着した頃までの約2年のローマ人同志の争いを、カエサルの視点で全3巻にまとめられ、残されています。

ルビコン川を越えるときカエサルが語ったのが「ここを越えれば人間世界の悲惨」。内乱記はこの人間世界の悲惨を記録したものといってよい。

ガリア戦記」とは違い、同胞であるローマ人との戦いの記述はとても重たい。その理由や意義は高くあったとしても、同胞であるローマ人を攻め落とすプロセスなどは控え、政治的に対立する相手であっても同国人に対する批判も内乱記の中にはほとんどない。だから内乱記はガリア戦記のような、軍事教書でも冒険物語でもない。しかしその代わり、冷静に事実を綴る中、ひとつひとつの文章に込められる心情や事柄がとても深遠になっているように思います。

「人間誰でも現実が見えるわけではない。多くの人は見たいと思うことしか見ていない」

アレクサンドリアで、ポンペイウスの死を知った」

内乱記に記されたこれら短い文章は、「内乱記」という作品を象徴しているような気がします。

 

「未開の地への冒険物語」的なガリア戦記と「人間世界の悲惨の記録」である内乱記では、その風合いはずいぶん違う。しかしどちらもカエサルであって、その透徹な頭脳によって生まれた二つの作品は、2000年もの間受け継がれ、様々に影響を与え続けているのでした。

 

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