その見事な文章から、現代においても「文学作品」として普通に本屋に並ぶ、カエサル著「ガリア戦記(Commentarii de Bello Gallico)」。
紀元前58年から8年間に及ぶカエサルのガリア遠征、その最中に本国ローマに対して、戦役の報告書として書き送られたのがこの「ガリア戦記」です。毎年1巻、全8巻刊行されたうち、カエサルによるものは7巻まで。アレシアの戦いまでカエサルが記し、後処理に終始したガリア戦役8年目の報告である第8巻はカエサルの側近ヒルティウスによるものです。ガリア戦記は戦争の報告書であり、記録であるのだけど、カエサルによる見事で美しい文章は、ラテン文学の最高峰として扱われ、一級の戦史記録である以上に文学作品として今でも本屋に並ぶのです。そのカエサルの文章をローマ人の物語の塩野七海さんはこう表現します。
「簡潔、明晰、洗練されたエレガンス」
カエサルは「ガリア戦記」を単なる戦いの記録だけを著したわけではありません。ガリアやゲルマニア、ブリタニアという土地の特徴、地形、気候風土、ガリアやゲルマンの各部族の特徴、構成、風俗文化、宗教、各部族の相関関係、動植物についても記述されます。これらはカエサルが戦闘に勝つための事前情報であると同時に、ガリア平定後にローマ属州化を見据えた重要な情報であり、そのためそれらに対する考察が詳細に綴られています。中にはカエサル自身の興味によるものもあり、ゲルマニアでは現在では見られないような動物の紹介もしている(ちなみにその動物一例は「鹿の姿をした牛の一角獣」)。
戦いについての記述は、その準備段階から語られます。様々な攻城兵器群や防衛網、包囲網の詳細や作成の過程、ライン河にかけられた橋の構造やその建設方法、ドーヴァー海峡を渡った船の造船、陣営地作りまでを細部まで活き活きと語り、工兵としても優秀な自軍の兵士たちを称賛します。
戦闘はローマ軍、敵軍の構成の詳細を語り、地勢を踏まえた布陣を詳説し、開戦後は戦局を克明に記し、そのときカエサルが何を考え、ローマの軍団がどう行動したかといったことが語られています。
カエサルは一人称ではなく三人称でこれらを記述します。常に「カエサルは」と文章を進めることで記述の客観性を高める狙いもあったと思われます。
ローマ本国はこうして送られてくるガリア戦役の報告書を熱狂をもって受け入れ、2000年後の僕たちもカエサルとローマ軍団の冒険をまるで一緒に過ごしているかのようにたどることができるのです。
さて、ガリア戦役7年目、アレシアの戦いの終結でガリアは平定され、その後8年目はほぼ戦後処理に当てられました。カエサルによる本国への報告は7年目(第7巻)まで。8年目の報告は側近ヒルティウスによるものです。ヒルティウスは洗練された完璧なカエサルの文章と、自分のそれが後世にわたり比較されることを憂います。ガリア戦記第8巻のヒルティウスによる序文はその嘆きと、言い訳に終始するのです。
その序文の中で、ヒルティウスはカエサルの真のすごさを伝えるこんな文章を残しています。
「~我々カエサルの身近にいた者の感嘆は、他の人よりはずっと深い。なぜなら、読んだだけでも透徹し洗練されたカエサルの文章への感嘆は抱かないではいられないが、そば近くにいた我々は、あの見事な文章が、どれほど容易にどれほど早く口述筆記されたかを知っているからである。」
僕が持っている「ガリア戦記」には第8巻の記述は無い。現代に至ってはヒルティウスの心配は無用でした。
カエサルは文章についてこんな言葉を残しています。
「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間内でしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けなければならない。」