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旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル9 ガリアへ

前執政官(pro-consul)となったカエサルの任地ガリアとは、現在でいえばスイス、フランス、ベルギーといった地域を指し、100を超える部族が乱立し広大な湿地帯の広がる未開の地域でした。ガリア戦役とはカエサルとローマ軍団による8年に及ぶガリアの征服行です。

このガリア戦役によってスイス、オランダ、ベルギーの他、ドイツの一部がローマ世界に組み込まれ、さらにはドーヴァー海峡を渡りイギリス(グレートブリテン島)までローマの領土が拡大されることになります。

ローマにとってのガリアの平定は、本国の安全保障に直結することになり、ガリアが安定することはガリア人にとってもゲルマン人の脅威がなくなるという大きなメリットになるのでした。そして現代社会にとってもこのガリア戦役は大きな意味がありました。

■敗者の同化

カエサルはじめローマ人による征服とは大抵の場合、相手に対して自治を認め土着の信仰も認められ、土着の神はローマの神々と共にローマの神に列せられる(これによってローマは300万を超える神々を持つ)。征服した相手の国の状況や宗教の性質によって「属州化の最適な方法」は多少変えるにしても、基本路線は「敗者の同化」で、ローマは建国当初からこうして敗者を許し同化することで、国を大きく育ててきた。それは人的資源と領土拡大ということ以外に、その民族がもっている優れた技術や学問、芸術すらも取り込むことを意味しており、最初ならず者の集団だった小国ローマは、こうしてどんどん大きく強力に、そして魅力的な国へと変貌していくのです。

■属州になるということ

ローマの属州民となると、十分の一税という税金が課されます。収入の10%を税金として収めねばならない義務です。ただその代わり「市民権」を持つローマ市民のように兵役の義務はありません。戦いに負けた、征服はされるものの自治や信仰が温存され、ローマ軍が安全を保障する。代わりに税金を納めるとはいえ属州となることは結果として悲観的なことではなかったかもしれません。

また、ローマの属州民となることの大きな恩恵は街の近代化による快適な生活ではなかったかと思います。ローマの属州になることは、街が近代化され文明的な生活がもたらされることを意味しました。ローマ人によって街と街がローマ街道(舗装道路)によってつながり、街には上下水道が整備され、公共建築が建てられ、劇場や闘技場、公共浴場も完備されることになる。今でもヨーロッパの都市に行くと、小さな街であってもそういったローマの施設の遺跡がたくさん残っている。実際、現在のヨーロッパの都市はカエサルによるガリア征服行の時の軍団駐屯地が起源であることが多く、さらにイギリス人はカエサルドーヴァー海峡を渡ってイギリスに上陸した時をイギリスの建国と考えているほどです。

アルプスの向こう側のまだ未開の地だったガリアを征服行をおこなったことでヨーロッパの運命は世界は大きく変わった。カエサルガリア戦役によって現在の華やかで美しいヨーロッパ世界が形作られたといってよいのです。

これからカエサルガリア戦役を辿ります。

 

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