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カエサル10 ガリア戦役 スイス

ガリア戦役 1年目(B.C. 58年 カエサル42歳)

ガリア戦役は今でいうところのドイツ人がスイスに侵入してきたことをきっかけに始まります。ガリア戦役一年目のこの年、現在のスイス人との争いが主な出来事でした。

当時トランサルピーナ(アルプスの向こう側)と呼ばれた地域、スイスのジュネーブのあたりはヘルヴェティ族というガリア人部族が住んでいました。すぐ隣のゲルマン人は度々ライン河を越えてヘルヴェティの地に侵入して略奪と居座りを繰り返した。このことに耐えられず、ヘルヴェティ族はやむを得ず先祖伝来のレマン湖のほとりにある土地を捨てての移住を決意します。しかしカエサルはそれを許しません。なぜならガリア全体にはたくさんの部族がいて小競り合いが絶えない状況で、ヘルヴェティ族36万人の民族の移動はガリア広範囲の混乱に直結するからでした。しかし背に腹変えられず36万人もの部族の移住を無許可のまま強行したヘルヴェティ族と彼らをもとの土地に戻したいローマ軍が衝突します。

訓練されたローマ軍団にとってガリアの一部族は敵ではなくヘルヴェティ族は20万人以上の犠牲を出して、元のレマン湖のほとりの土地に戻ったのは10万人ほどと言われています。

大噴水はなかったけど同じレマン湖の、ジュネーブの景色をヘルヴェティ族も

ローマの軍団兵も見たことでしょう。

 

現在のスイスの正式名称Confoederatio Helvetica(コンフェデラチオ・ヘルヴェティカ)は直訳すると「ヘルヴェティ連邦」。カエサルガリア戦役がなければ、今のスイスとスイス人は存在していなかったかもしれません。

カエサルはヘルヴェティ族をレマン湖畔に返した後、その根本的問題となっていたゲルマン人の部族を攻略してライン河の向こうへと返します。ガリアの諸部族の統一と同時にゲルマン人への対処も抜かりなく行わなければないことを実感した1年となったはずです。

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