カエサルの略暦。カエサルの生涯は後半に行けば行くほど濃くなっていきます。人生の経歴としてはカエサルはとてもスロースターターです。20代で軍功を挙げて当時すでに最高の栄誉を受けた三頭政治の一角、ポンペイウスとは対照的です。
しかし、後世の人々は、カエサルをリーダーとして必要な資質を全てを備えた唯一の人物(高校の教科書)であり、いつの時代のいかなる軍隊を率いても勝者になったし、いかなる国に生まれても指導者になっただろう(モンテスキュー)と言う。人類史上屈指の人物、創造的天才とも言われるカエサルは人生を謳歌して、自分の考えに常に忠実に生きた。そしてその姿勢や考え方は現代を生きる僕たちにとっても、参考になることがたくさんある(なかなか近づくことはできないけれど)。思えば僕はこの四半世紀、そんなカエサルとともに過ごしてきたような気がします。
B.C.100
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7月12日ローマ、スブッラ地区に誕生 |
0歳 |
B.C.84
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キンナの娘コルネリアと結婚 | 16歳 |
B.C.82
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スッラの粛清。処罰者名簿にのるが、小アジアに逃れる |
18歳 |
B.C.77
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弁護士開業するが失敗 | 23歳 |
B.C.76
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留学でロードス島へ向かう途中海賊に襲われるが海賊を説き伏せ、退治する | 24歳 |
B.C.73
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神祀官になる | 28歳 |
B.C.70
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会計検査官としてスペインに赴任。 | 30歳 |
B.C.70
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元老院議員になる | 30歳 |
B.C.65
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按察官になる。アッピア街道の補修、剣闘試合を自費で開催。マリウスの記念碑再建。 | 35歳 |
B.C.63
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「カティリーナの陰謀」キケロ、小カトーと論戦 |
37歳 |
B.C.62
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法務官に就任 | 38歳 |
B.C.61
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遠スペイン属州総督として赴任。クラッススが借金王カエサルの債権者となる。 | 39歳 |
B.C.60
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執政官立候補、三頭政治始まる |
40歳 |
B.C.58
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ガリア戦役1年目、ヘルウェティ族を抑える(現スイスに至る) | 42歳 |
B.C.57
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43歳 | |
B.C.56
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44歳 | |
B.C.55
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ガリア戦役4年目 ゲルマン人侵入阻止。ライン河に即席の橋をかけ、ゲルマン人を牽制。 第1次ブリタニア遠征(イギリスの近代化へ)。 |
45歳 |
B.C.54
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ガリア戦役5年目 第2次ブリタニア遠征。フォロ・ロマーノ拡張工事。 | 46歳 |
B.C.53
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ガリア戦役6年目パリとランスで前ガリア部族長会議を実施 | 47歳 |
B.C.52
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48歳 | |
B.C.51
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ガリア戦役8年目 アレシアの後処理。「ガリアのローマ化」。ガリア戦記第8巻は側近ヒルティウスが執筆) | 49歳 |
B.C.50
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カエサルに対し軍団解散命令 |
50歳 |
B.C.49
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51歳 | |
B.C.48
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ファルサルスの会戦でポンペイウスに完勝。ポンペイウスはエーゲ海からエジプトに逃れる。ポンペイウスは逃れたアレクサンドリアで殺される。 |
52歳 |
B.C.47
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ポンペイウスの死によりほぼ内乱終結。「内乱記」完成。エジプトの内政干渉でクレオパトラを王位に。また、カッパドキアでポントス王を一蹴。「来た、見た、勝った」と首都に報告、凱旋式を行う。 | 53歳 |
B.C.46
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ユリウス暦採用。独裁官(任期10年)に就任 | 54歳 |
B.C.45
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パクス・ロマーナへ向けて数々の改革に着手 |
55歳 |
B.C.44
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終身独裁官に就任。 3月16日 遺言により後継者に指名。 |
そんな人生のエッセンスとなる、カエサルならではの出来事を中心に、カエサルの人生を辿っていきます。