cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル3 カエサルから見たスッラの粛清

カエサル18歳の時、スッラはカエサルの命を奪おうとしていた。

カエサルの叔父にあたるマリウスは政敵スッラの関係者を一掃しようと粛正を行った。そしてマリウスが死んだ後、スッラは逆にマリウスの関係者を完全消滅をしようとした。半ば感情的に殺戮を行ったマリウスに対してスッラは処罰者名簿(粛清者リスト)を作って、身元を洗った上で冷静かつ冷酷に、確実にマリウスの一派、4700人ものいわゆる民衆派を一掃しようとしたのでした。追われる方としたらスッラの方がよほど恐ろしい。

カエサルが十八の時、マリウスの甥であったためこのスッラの処罰者名簿にカエサルの名前がありました。

カエサルは幼い頃、叔父マリウスが出世していくのを見て誇らしく思っただろう。多感な十代に叔父が親戚を含む同じローマ人をわずか5日間で二千人近くも殺しまくっていくのを見て、自分の街が死体だらけになるのを見て何を思っただろう?そして十八の時今度は自分が粛正の対象となりどんな心境だっただろう?

この当時のカエサル書き残した記録はなく、その心境は推し量るしかありません。

2年前、16歳の時にカエサルはマリウスの右腕であった民衆派のNo.2キンナ( Lucius Cornelius Cinna)の娘コルネリアと政略的に結婚しました。そしてこのスッラの粛清によって、義理の父にあたるキンナは当然処罰者名簿の筆頭に置かれ、そうそうに惨殺されてしまった。そのキンナの娘を妻に持つカエサルは周囲の嘆願によりなんとか殺されることからは免れたものの、スッラからはキンナの娘と離婚するよう命令されていました。それに対して、カエサルは拒否します。スッラを説得した者たち一同驚きのあまり、ひっくり返ったことでしょう。まさか、ようやく助かった命をあっさり危険に晒すのか、と。政略結婚であったのだから、離婚も容易だっただろうにカエサルはそれをしなかった。

ローマ人の物語Ⅳ」で著者の塩野七生氏はこの時のことをこう分析します。

「絶対権力者といえども個人の私生活に立ち入る権利は有しない」というカエサルが生涯通して持っていた、自分が絶対権力者になった時でも通した信念が、18歳当時のカエサルの中にすでにあったのだろうと。

僕はさらに、母アウレリアの影響が大きかっただろううと思う。後にローマ女性のお手本のような存在となるアウレリア。カエサルをキンナの娘と政略結婚させたのはアウレリアだし、おそらくスッラへのカエサル助命も、水面化でスッラの周囲を動かし実現させた可能性も相当に高い。名門アウレリウス一門に生まれ、由緒あるが慎ましいカエサル家に嫁いで息子を立派に育て上げてる。スッラの「処罰者名簿」騒動の時、その息子の命の危機を救うために、聡明なアウレリアは人生の全てを賭けたに違いない、と思うわけです。

また、アウレリアはカエサルの将来まで見通して、将来民衆派のリーダーとしてローマを背負う息子の姿が見えたでしょう。民衆派のリーダーとなるためにはマリウスと共に民衆派を率いたキンナの娘を離婚させるわけにはいかなかった。その価値とリスクを冷静に天秤にかけ、命を確保した後に、スッラに刃向かうことを選択した。そしてスッラに逆らった後、カエサルをローマから離して逃避行させることもこの時すでに決めていたと思う。その行き先すらも。

息子は母親の影響を強く受ける。母親の良い面をたくさん吸収し、10代途中まで知らず知らずのうちに母親の敷いたレールに乗っている。カエサルも聡明な母の影響を強く受け、性格も教養も立ち居振る舞いもおそらく母アウレリアによって形作られたものでしょう。素材の良さもあったでしょうが、稀代の天才ユリウス・カエサルは母アウレリアによって形作られたと言っていいかもしれません。母は偉大だ。

カエサルはスッラの処罰を逃れてすぐ、幼馴染の奴隷の子と共に小アジアへと旅立ちます。シチュエーション的には逃避行ですが、18歳の若者の初めての親元を離れた果てしない旅程は楽しくて仕方なかったことでしょう。

 

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