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カエサル小話 アンチ 元老院最終勧告

カエサルがさまざまな改革を行った事柄の一つに「元老院最終勧告の廃止」があります。今回はこの元老院最終勧告についてのお話です。

500年つづいた共和制=元老院体制は優れた政治体制ではあったのだけど、広大になったローマを統治するのは限界でした。

ローマが国家としてイタリア半島内に留まっていた頃はまだ、元老院も機能していました。そしてその頃の共和制を支えた元老院議員には魅力的な人物がたくさん現れ活躍して、ローマは大きく発展します。しかし、ローマが地中海をすっぽり包むほどに広がると、首都ローマの一部の有力者による統治は限界を超え、元老院体制は徐々に機能不全に陥っていくのです。元老院体制が機能不善に陥ったことには、ローマの版図拡大の他にもう一つ大きな理由がありました。それは元老院の自浄作用の欠落で、その象徴といえるのが「元老院最終勧告(Senātūs cōnsultum ultimum)の発令」でした。

元老院議員はいわゆる名門貴族階級で構成され、カエサルガリアなどの族長を元老院議員として増員するまでは、ほんの一部の名門貴族家系が代々ローマの国政を担ってきました。そしてローマが誕生した当時に発足した元老院は750年の歴史を持ち、共和政末期の紀元前1世紀には、共和政500年の間に元老院自身の自浄作用は薄れ、公正や正義や効率的な統治より元老院議員たちの既得権が優先されることになるのです。

元老院最終勧告」は、特定の市民を元老院が一方的に国賊と認定することによって、裁判にかけることなく死刑にすることができるという法律です。つまり元老院の既得権を脅かすような対象を「国賊」に認定してしまえば、真実がどうあろうと元老院の都合によって、合法的に対象を殺害できるということを意味します。

共和政末期の100年ほどの間に起きたことは、世の中の不条理を改革する(=貴族階級の既得権を阻害する)動きがあるときに「元老院最終勧告」が発令され、その改革の推進派が殺され、ローマが進化するための改革は露と消える、という繰り返しでした。「元老院最終勧告」は共和政ローマの「悪性腫瘍」だったと言ってよい。

元老院最終勧告が発令された主な記録は、

紀元前121年 農地改革をすすめた護民官グラックス兄弟に対して

紀元前100年  下級市民の優遇政策を進めた護民官サトゥルニヌスに対して

紀元前77年 民衆派として蜂起した前執政官レピドゥスに対して

紀元前63年 国家転覆を図ったとして元老院議員カティリーナ(カティリーナの陰謀)

紀元前49年 反元老院派として力を得たカエサルに対して

 

「どれほど悪い結果に終わったことでも、それが始められたそもそもの動機は善意によるものだった。」

カエサルはこういう言葉を残しています。

 

元老院最終勧告もこのカエサルの言葉が表す事柄のひとつにすぎず、最初はおそらく暴君の暴走を止めるため、国家をひっくり返そうと企む陰謀を止めるため、国家や市民を守るために機能した法律だったのでしょう。しかし、時代を経て共和政の終わり頃には、国家や市民ではなく元老院の既得権を守るための悪法となり、またローマが進化する機会を国家の最高機関の元老院が自ら奪ってきたわけです。

カエサルは生涯、この「元老院最終勧告」を否定して、過去に2度この法律の非合法性を明らかにしようと正攻法で試みましたが、その都度「元老院」という国家権力に潰されてきました。

そしてついに「元老院最終勧告」はカエサル自身に向けて発令されることになります。しかし以前と違うのは、紀元前49年時点のカエサルはローマ最強といえる力を持っていたこと。カエサルは自分に発せられた「元老院最終勧告」に屈することなく、ローマの最高権力者となって、堂々とローマからこの悪性腫瘍を取り除くことができたのでした。

 

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