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カエサル小話 ユリウス暦と7月

カエサルと現代、実はたくさんの接点があります。そのもっとも身近な接点といえば、暦といえるでしょう。

内戦が終わり、まずカエサルが導入したのが暦の改訂でした。

当時ローマ世界が使用していた暦は月の満ち欠けを基準にした「太

陰暦」で1年は12ヶ月で355日とされていた。紀元前7世紀、ローマ建国まもなく太陰暦は導入されたものだったので、紀元前1世紀当時の暦に対する季節感のズレは3ヶ月にもなっていました。3ヶ月といえば四季が一つ飛ぶ、暦は夏なのに季節は春という具合です。カエサルは広大なローマ領土でどこでも通用する、共通で季節を正確に表せる暦がローマ全土には必要と考えました。

そこで誕生したのが、誰もが耳にした事のある名前、太陽の周期を基準とした「ユリウス暦(Calendarium Iulianum)」です。

ユリウス暦」のユリウスは言うまでもなく「ユリウス・カエサル」の「ユリウス」で、カエサルがエジプトの天文学者ギリシアの数学者をローマに招き、検討させて制定したものです。その制定のスピードを考えると、おそらく内戦中にエジプトやギリシアを訪れた際に出てきたアイディアを、先に学者たちに宿題として検討始めさせていたかもしれない。もしかすると、アレクサンドリアのお家騒動を収めた後、クレオパトラとの2ヶ月のナイルの船旅に学者達を同乗させて、そこで太陽暦ユリウス暦のアイディアが生まれたかもしれません。

ローマに呼ばれた学者たちは、太陽の周りを地球が1周する時間を「365日と6時間」と割り出し、その6時間分の誤差は、4年に一度の周期で2月の日数を1日増やすことで調整することも決めます(閏年)。こうして出来上がったのが「太陽暦」であり、考案したカエサルの名前を冠した「ユリウス暦」と呼ぶことになるのでした。

ユリウス暦の導入にあたり、当時ずれにズレた季節を合わせるための調整が行われます。ローマ建国時から紀元前46年まで、約700年の間に積もり積もった3ヶ月ものズレを、この年末一気に解消します。なので、この紀元前46年と言う年は1月〜12月に加えて3ヶ月の追加月(?)があり、1年が15ヶ月(!?)となったのです。

こんな準備を経て、「ユリウス暦」は紀元前45年1月1日から施行されローマ世界の標準暦として使われるようになりました。カエサルの帝政では暦は世界標準を持ちながら、それぞれの属州では生活に使用する暦はもともとの土着の暦を使ってよいことになっていました。各地の市民生活にはなんら影響することなく、ローマ世界共通の正確な暦の運用が始まったわけです。

 

現在世界標準で実際に使用しているのは「グレゴリウス暦」です。これは1582年にローマ法王グレゴリウス13世が、当時進化した天文学に基づいて学者に地球が太陽を1周する時間を再計算したところ「365日5時間48分46秒」であることを発見し、修正したもの。ユリウス暦からの誤差は1年で11分14秒。

*グレゴリウス13世

ユリウス暦がスタートして約1600年後、溜まった誤差は10日ほどになっていました。キリスト教宗派には今でもユリウス暦を使い続けているところもあるそうです。

 

もう一つ、

暦の話でカエサルと現代が繋がる事柄があります。

現在7月は英語でJULYと呼びますが、これはラテン語では「ユリウス」となりカエサルが生まれた月をあらわしています。これは当時元老院と市民集会からカエサルに与えられた栄誉として、カエサルの誕生月であることを記念して7月を「ユリウス(=JULY)」と定められたのでした。僕たちは知っているいないにかかわらず、英語で7月を言うときは「カエサル」の名前を唱えているというわけです。

ちなみに8月は「AUGUST」。これはカエサルの後を継いだ初代皇帝アウグストゥス(Augustus)に由来するもので、アウグストゥスが8月の呼び名をAUGUSTに変えました。順番では30日だった8月の日数も「August」の名がついたこの月は多いほうの31日変更されたと言われています(諸説あり)。。。

 

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