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マルケルス劇場 マルケルス劇場界隈2

B.C.3世紀頃からローマで「ギリシアの演劇」が上演されるようになって、半円形劇場はギリシアにならって古代ローマの都市において、フォロ、円形闘技場、公共浴場とセットで整備される重要なインフラとなりました。

ラテン語でマルケルス劇場(Theatrum Marcelli)、イタリア語でマルチェロ劇場(Teatro di Marcello)はパラティノの丘の西側、テヴェレ川の程近くに紀元前13年頃完成しました。ユリウス・カエサルが建設に着手するがその途中で暗殺されてしまった。中断されかけた計画を初代皇帝アウグストゥスカエサルの計画を引き継ぎ建設・完成させました。この半円形劇場は直径111m収容人数1万1000人と言う規模。当初この劇場はカエサルにちなんだ「ユリウス」の名前がつけられる予定でしたが、アウグストゥスの甥であり娘婿でもあり次期皇帝になるはずだった、マルケルスの名前がささげられました。

マルクスクラウディウス・マルケルス(Marcus Claudius Marcellus)はアウグストゥスの姉の息子。共和制の終わりにカエサルが暗殺された後、その遺言によってアウグストゥスが18歳という若さでカエサルから国の「帝政への構造転換」の大事業を引き継ぎます。その大仕事に当たりアウグストゥスにとっては親族であると同時に右腕であり後継者という人物。しかしB.C.23年に病気によって19歳の若さで他界してしまいます。アウグストゥスの落胆と悲しみは深く、

ユリウス劇場となるはずだったこの半円形劇場を亡くなった甥の名をそのままに「マルケルス劇場」と名づけることにしたといいます。

 

完成当時は3層構造で、アーチとギリシア風の円柱が飾りとなって周囲を囲みます。飾り円柱はコロッセオと同じく1層目はドーリア式、2層目はイオニア式がならび、今はない3層目はコリント式の円柱が並んでいたと思われる。沢山の演劇を上演し大勢の市民を楽しませたマルケルス劇場もローマ帝国が滅びた後は廃墟となります。

中世以降、貴族の所有となって要塞や住居として使用され、16世紀3層目にルネサンス風の建物が加えられ現在のような姿になりました。古代と中世、ルネサンスが共存して形を変えて今に残る、ローマならではの建築です。 

そしてこれを聞いた時には驚いたのですが、現在でも集合住宅として人が住んでいます。人が住んでいる!

「ローマの劇場に、住んでいる」ガウディのカサミラに住めることと同じくらい、羨ましい。

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