cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小話 上田墓参

うちの家系は代々ここ上田に居を構えてきた(らしい)。父の墓参りにきたのだけど、そこには父だけではない親戚一同、そして先祖代々のお墓が並ぶのです。

下の写真はお墓群を背中から写したもので、中央の黒い高い墓石が現在の一族のお墓。その後ろに並ぶたくさんの墓石は先祖代々の墓石。今まであまり気にしてなかったのだけど、結構な数のお墓が並んでる。子供の頃から何度も墓参りに来ているのだけど、今回初めて、今更ながらご先祖様のお墓をまじまじと眺めて見ました。するとやはりというかこれら全てご先祖様のお墓群で、後ろに行くほど古いようだ。

いつ建てられた、誰のお墓かが墓石に刻まれている。慶応三年(1867年)、文久三年(1863年)、享保三年(1718年)、寛永六年(1629年)。。。なんとか判別がつく一番古いのは寛永六年(江戸初期)に建てられたようだ。もっと古くて文字が読めないものもあるから、戦国時代からご先祖様はここで生活していたんだな。

下の写真は享保三年のなかなか立派なお墓。

四百年もの時を経て、そのお墓の記録がしっかり残されてるってすごい、と我がご先祖の墓ながら感動。こんな身近に数百年の歴史があったとは。。。。

寛永六年(1627年)は日本では江戸初期だったけど、その頃アントワープではルーベンスがバリバリ現役で活躍していた。またこの百年前にはイタリアでレオナル・ド・ダヴィンチやミケランジェロが活躍していた、そんな時間軸だ。

文久三年(1863年)はバイエルンでルートヴィヒ二世がノイシュバンシュタイン城の建設を始めた頃だ。。。。

なんてことを考えると、今まであまり目に止めることがなかったご先祖様のお墓が愛おしくなってくる。

数百年の歴史をもつ墓石たちは、風化で表面が劣化しながらコケ(だろうか?)を纏ってとても表情豊かな模様を作っている。

この時3月初旬、お墓の周りには小さな花々が咲き始めていました。これも数百年繰り返されてきたのかな。

 

僕もそのうちここに入れてもらうことになるのだろう。ご先祖の皆々様と数百年分の話題で盛り上がれるように、いまからしっかりネタを揃えておこう。