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エジプト小話 〜ハワード・カーター

 1922年にイギリスの考古学者ハワード・カーターによってツタンカーメンの王墓が見つかりました。

王家の谷の他のファラオの墓と違い、盗掘者による被害が皆無に等しい、ほぼ手付かずのままの状態の王墓が唯一奇跡的に発見されたわけです。カーターはファラオ・ツタンカーメンの墓がラムセス6世の墓のそばにあることを分析によって弾き出し、論理的に発見したといいます。

3500年の間、盗掘者に見つからずにいた奇跡の王墓。まさに人類の宝である王墓を、考古学者のカーターが発見したということも奇跡的なことかもしれません。眩いばかりの大量の副葬品を考古学者として記録と保護に徹したカーターは、指輪物語ホビット族のように、考古学者としてエジプトのために、考古学のために、そして後世の僕のような人のために、まさに人類の宝を見つけ、残してくれたのです。

 

発掘当時のことをカーターはこんな風に振り返っています。

「この地下の穴倉の中にあふれる紀元前14世紀の大エジプト帝国時代の栄光を目の当たりにした時、私たちには、ただ目の眩むような畏怖の念しかなかった。」

 

「ほとんど略奪され尽くし、わずかな調度品の残り物があるくらいの、王家の谷の他の王墓とは全く違って、この墓は初期に金属目当てに盗みに入った僅かな例を除いて、事実上全く被害にあってないと言って良い。これは実に驚くべきことであると同時に、私たちにとっては非常に幸運であった。テーベの王朝の強大なファラオ達の墓が、もしこのような状態で発見されていたら、ツタンカーメンの墓は、まだ著しい特徴を残していた美術の分野を除けば、余り重要視されなかったかもしれない。」

 

「驚きと喜びに浸っている間もなく、私たちがすぐに気がついたのは、他の何よりも先に、この前室から発見されたものを記録し、別の場所に移して保存する作業を済ませなければならないということであった。」

 

前半、抑え気味にも手付かずの王墓を発見した興奮が伝わってきます。後半に向けては段々と考古学者としての性分が大きくなっていき、最後全開になるのが手に取るようにわかります。

世紀の発見の喜びと、記録保管の段取りとこれから先のこの王墓をどうやって守るか、多方面への思考が一気にお寄せてきたのだと想像します。

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近代史の中で伝説的な遺跡と一緒に名前を残す人たちがいます。

トロイの遺跡とハインリヒ・シュリーマンクノッソス宮殿とアーサー・エヴァンス、そしてツタンカーメンとハワード・カーター。それぞれ生い立ちや境遇は違うけど、共通して言えるのは、伝説みたいな話を本当だと信じてその痕跡を探し続け、最後には本当に見つけてしまったこと。本人の興味で伝説に挑んだシュリーマンエヴァンスに比べると、カーターは考古学者として、かなり論理的な探索発掘を行ったこと、考古学者として発掘品の記録と保存を徹底したことから、先の二人とは異なりますが、

3名それぞれ考古学界や世界の考古学好きへの貢献の大きさは計り知れません。

 

3500年の間、たくさんのハワード・カーターになれなかった人たちがいたと思います。たくさんの考古学者、探検家、盗掘者たちが未発見未盗掘の王墓を探したけど、見つからず去っていったのでしょう。

ハワード・カーターはその心意気と考古学者としての勘と能力と幸運によって、ツタンカーメンと並んで歴史に刻まれるハワード・カーターになった。

でも、本当はハワード・カーターの前にツタンカーメンを見つけた人物がいた。ツタンカーメンの王墓を最初に見つけたのは、何者だったのだろう?古代の盗掘者であり、王墓を見つけ中に入ったにもかかわらず、ほとんど手をつけずに去った人。いったいどんな人物だったのか、知る術はなし。

エジプトの歴史が再び動き出したのも、一般の人が普通にツタンカーメンの黄金の副葬品を見ることができるのも、この盗掘者とハワード・カーターのおかげです。

人類の宝に、ハワード・カーターに、最初の発見者に感謝です。

 

 

ツタンカーメン発掘記〈上〉 (ちくま学芸文庫)

ツタンカーメン発掘記〈上〉 (ちくま学芸文庫)

 
ツタンカーメン発掘記〈下〉 (ちくま学芸文庫)

ツタンカーメン発掘記〈下〉 (ちくま学芸文庫)

 

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