エジプト
エジプト王朝の最後の王、クレオパトラ(7世)。 「世界3大美女のひとり」「絶世の美女」と称されるこの人物は、実際どんな女性だったのだろう? クレオパトラが生きた当時は、エジプトは地中海に面したアレクサンドリアを首都としていました。アレクサンドロ…
エジプトの人たちはどんな人々だったのだろう。 豪華絢爛のファラオの副葬品、ラムセス2世の巨像、ピラミッド。。。どれも桁違いの遺跡や遺物に目が行きがちになるけれど、所々でなんというかエジプト人の本質が垣間見られるような気がするんです。 心が和む…
1922年にイギリスの考古学者ハワード・カーターによってツタンカーメンの王墓が見つかりました。 王家の谷の他のファラオの墓と違い、盗掘者による被害が皆無に等しい、ほぼ手付かずのままの状態の王墓が唯一奇跡的に発見されたわけです。カーターはファラオ…
エジプト考古学博物館 (カイロ博物館)ができるまで 支配下に置きながらエジプト古来の文化を温存したローマ帝国が衰退して、エジプトがイスラム教国家になった時、古代エジプト文明は潰えて、いったん歴史から姿を消すのです。毎年のナイルの氾濫と砂漠の…
世界遺産やエジプトの遺跡などは人間の寿命程度の期間何年経とうがそれほど変わりはないのだけど、街の様子というのは随分変わる。何年か前にマレーシアのクアラルンプールに10年ぶりに行ったら、すっかり近代都市に様変わりしていた。中国のとある地方都市…
上野でミイラを見た。 小学生低学年の頃、父に連れられて上野の国立科学博物館へ恐竜の化石を見に行った時に、僕は初めてミイラに出会った。あの時の衝撃は強烈だった。初めてみたミイラの姿はちょっと刺激的すぎてしばらく頭から離れることがなかった。当時…
その昔、古代文明の遺跡は奴隷による強制労働で作られた物だというのが通説でした。 でも色々な考古学上の発見によって、ピラミッドもテーベの墓も強制労働によるものではないことがわかっています。エジプトに限らず、どこの国でも古代の一般市民の生活に関…
テーベのナイル西岸、神殿が建つ東岸とは対照的に、日の沈む方角である西側は死にまつわる施設が集められた死者の街と呼ばれます。 王家の谷 乾いた岩山に挟まれた寂しげなこの谷が王家の谷と呼ばれるのは、ここにたくさんのファラオ達の墓があるからです。 …
現代ルクソールと呼ばれるこの街は古代エジプト語でワセト、古代ギリシア語でテーバイと呼ばれ、考古学上英語読みでテーベと呼ばれます。なんか複雑ですが、ここでは考古学また、敬愛するインディ・ジョーンズ博士に倣い、テーベと記述することにします。 古…
これからしばらくエジプトの話をしたいと思います。 僕がエジプトに行ったのは、もう30年近く前のこと、その間に世の中もエジプトも変わっていくのですが、6000年ものエジプトの歴史の前では30年なんて時間はチリのようなもの。 ピラミッドもスフィンクスも4…
エジプトの硬貨にはギザの三大ピラミッドが描かれていて、反対面のカリグラフィーのデザイン性の高さと一緒に、とても誇り高い硬貨です。 紀元前2500年頃、今から4500年前の古王国時代にこのピラミッドは建造されました。 黄金比をまとった端正な姿、東西南…