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ルーブル界隈  オランジェリー美術館

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 ルイ16世マリー・アントワネットがこよなく愛したチュイルリー庭園。そのセーヌ川に面した一角に緑の木々の囲まれてひっそり建つのが、オランジュリー美術館(Musee de l'Orangerie)です。木々に隠れてうっかり通り過ぎそうになってしまうこの建物は、かつてオレンジやレモンを栽培した温室でした。美術館に生まれ変わったのは20世紀に入ってからのことで、その生い立ちから「オランジェリー」と呼ばれるようになりました。

ここはモネ晩年の大作「睡蓮」の連作を展示するために美術館として生まれ変わったのですが、モネのほか印象派のコレクションやピカソユトリロモディリアーニマリー・ローランサンなど、エコール・ド・パリの作品を中心に規模は小さいけど新しい時代のパリにふさわしい小粋な作品が集まっています。それらを少しだけ紹介します。

 

■モネの睡蓮

第一次大戦が終わったパリで、印象派を、フランスを代表する大画家として当時すでに認められていたモネは、国家に睡蓮の大装飾画を寄贈することにした。
すでに年齢は80歳を超え、白内障を患いながら、僅かに見えるジベルニーの池からとどく光を描いたのが、このオランジュリーの「睡蓮」。

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モネはこの作品を執念で描きあげ、1926年12月にこの世を去りました。オランジュリーの開館はその半年後1927年5月なので、モネはこの睡蓮の間を見ることはできませんでした。

オランジェリーの睡蓮の間は形のよい二つの楕円形の部屋があります。それぞれぐるっと1周4枚、合計8枚の色々な「睡蓮の池」に浸れます。モネが最期まで筆を入れ続けた大作がやさしく弧を描く壁面に溶けるように飾られているのです。

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 僕はジヴェルニーに行ったことがあって、この睡蓮の池を見てきました。というか睡蓮の池を見るために行きました。あそこに行くと、モネがここまで睡蓮の池にこだわった理由がとてもよくわかるんです。「光のうつろい」。いつかジヴェルニーについてもこの場で紹介します。

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「睡蓮の間」以外にも、オランジェリーにはモネの睡蓮が並びます。

これはジヴェルニーの池に架けた日本の太鼓橋を描いています。この絵も晩年に描かれたものなので、ほとんど目が見えない状態で、でもその目が捉えた光を描いている。

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モネは睡蓮に限らず一つのモチーフをいろいろな時間、天気の変わる光の移ろいを描く画家でした。最後は自然の光の変化ではなく、自分の目の具合で変わった光を描き残したんですね。

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マリー・ローランサン(Marie Laurencin)

僕の好きな画家の一人、マリー・ローランサン
この人の絵の色使いと、けだるい、それでいて華やかな空気が、なにか僕の感性に響きます。


オランジェリーにはローランサンの作品が多く所蔵されているのだけど、中でもこの作品「シャネルの肖像」は僕にとって大好きな1枚。

世界的ブランド「シャネル」を創設したココ・シャネルの肖像。

シャネルからの注文されて描かれた絵なのだけど、完成した絵にシャネルが満足できず受け取りを拒否したという曰く付きの肖像画

同じ年に生まれたローランサンとシャネル。同じ歳で、この絵が描かれた1920年代はともにキャリアの絶頂期でした。なので貧しい境遇から一大ブランドを築き上げた成功者シャネルが、当時超売れっ子の画家ローランサンに自分の肖像画を依頼した、という背景がありました。

 

成功者ココ・シャネルにとってローランサンが描いた肖像は、成功者ココ・シャネルではなく、成功する前の葛藤と不安を抱えたココであり、成功した後でも内に抱え隠してきたココだったのではないか?だから認めたくなかった。だから受け取りを拒否した。

僕はこの絵を前にして、そんな想像をしてしまうのです。

 

そんな、ここにあるこの絵から伝わってくる空気はとても生々しい。

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■モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)

マリー・ローランサンと同じ時期20世紀初頭にパリで活躍したエコール・ド・パリ(パリ派)の画家で、さりげないパリのモンマルトルの風景を気怠い感じで描く画風がかなり好きです。

ユトリロが描くモンマルトルの街角はとても物悲しく、でもなにか希望が感じられるとても不思議な印象を僕の心に残してくれます。

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■オランジェリーの今

オランジェリーは1999年から2006年までの間改装工事を行なっていたとのことで、2018年久しぶりに訪れた時はとてもきれいに、広く明るくなっていました。 

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古いオレンジ栽培の温室の建物と近代の鉄骨とコンクリート打ちっぱなしとが混在する新しい美術館になっていました。

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もともと、オランジェリーはモネの「睡蓮」を収蔵するために温室から改装され、1927年に開館して以降も、約半世紀の間はほかのコレクションを持ちませんでした。

その後1977年に画商ポール・ギョームのコレクションが加えられ、現在のような近代フランス絵画を所蔵する美術館となっています。

画商ポール・ギョームとは、まだその才能を認められていなかったピカソマティスモディリアーニ、ルソーなど新進の若手を理解し援助し続けた画商で、エコール・ド・パリ、近代のフランス絵画を守り育てた人物。ギョームが亡くなった後も夫人がその後を継ぎ、最終的に144点ものコレクションをフランス政府に寄贈しました。それが今オランジュリーで見られる作品たちです。

オランジュリーはモネの大作「睡蓮」からパリの新しい息吹への橋渡しをする場所、2つの世界大戦の狭間で時代が移り変わっていったことを伝える場所となっているのです。

 

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