ルイ13世の宰相リシュリューがルーブルに住む王のすぐそばに居たいと、建てさせた家がいまのパレロワイヤルの前身「パレ・カルディナル」。17世紀、宰相の死後に太陽王ルイ14世が幼少期にここに移り住み、過ごしたことから「パレ・ロワイヤルPalais Rayal(王宮)」と呼ばれるようになりました。
やがて王宮がヴェルサイユに移ってから18世期には中庭の回廊はショッピングアーケードに改装され、レストランや商店がひしめくパリ最大の盛り場となります。そしてこの中庭は警察は出入り禁止であったので、革命家の溜まり場となり、1789年バスティーユ襲撃の2日前にはパレ・ロワイヤルのカフェで「諸君!武器を取れ!」と演説が行われフランス革命の発端となった場所でもある。19世紀に入って7月革命を境にパレロワイヤルの活気は一気に失われ元に戻ることはありませんでした。
現在パレロワイヤルの建物は文化省、国務院が入り、アーケードにはブティックや骨董品店が入っているが相変わらず活気はありません。
そして今でも中庭には自由に入ることができて、このときは不思議なアート作品がたくさん並んでいました。 なぞ多し。
これは、ハンガーでできた宇宙飛行士。これは秀逸。
これは一体何なんでしょう?
ほかにもいろいろ、ルーブル美術館のあとにここを訪れると脳味噌がパニック起こします。
ルーブルのコレクションも芸術であれば、パレロワイヤルの中庭にならぶこれらも立派な?芸術。同じく括られるわけなのだから不思議です。
パレ・ロワイヤルと名前はついているのですが、王が過ごしたのはほんのわずかの時期だけ。でもいまだに「王宮」の名前で呼ばれるここは、あいかわらずひっそりと活気のない、パリにあってはとても不思議な場所といえるのです。