ルネサンス様式の建物に囲まれたナポレオン広場。その中心に近代的なガラスのピラミッドがあります。「近代的なガラスの」なんですが、その形が古代の「ピラミッド」であるために不思議なほどの調和が生まれています。
1981年「グラン・ルーブル(Grand Louvre)計画」が発動し、1989年このガラスのピラミッドが生まれました。
1981年、ミッテラン大統領は20年かけてパリに近代的景観を加える「グラン・プロジェクト」を発足、オルセー美術館の創設やバスティーユのオペラ座、グランダルシュなどパリの近代化を象徴するような8つの建築プロジェクトを推し進めます。その中のひとつがこの「グラン・ルーブル計画」。
グラン・ルーブル計画ではルーブル宮殿全体を美術館として拡張、また図書館など多数の公共施設を備えた総合施設へと変貌させる。さらに世界最高峰の美術館とするために従来の展示空間の刷新と、世界中からの訪問者を受け入れるための総合入り口を整備することとなります。
総合入り口がなかった?というのが意外ですが、言われてみれば、確かになかった。一番最初にルーブルに来た時は、ドノン翼の建物の途中にある小さな入口から入った記憶がある。小さいけど空いてる「こんな穴場的入り口」がある、と思って次に来た時はガラスのピラミッドに集約されて無くなっていた。
ルーブル宮殿全てを美術館とするために、まずリシュリュー翼(パレロワイヤル側の建物)を占めていた大蔵省を引越しさせ、窮屈だったオフィス空間を壮大な展示空間をして大改装。これにより展示スペースの面積がそれまでの2倍にひろがりました。そしてリシュリュー翼、シュリー、ドノン翼の間の「ナポレオン広場」の中心に総合入口を作り、地下に広大な空間をつくって一旦そこに訪問客を受け入れ、そこから各エリアに直接アクセスできるようにする。
そのプロジェクトの中心にいて、ルーブルの空間にガラスのピラミッドを導入したのが、中国系アメリカ人の建築家I.M.ペイでした。
*ガラスのピラミッドの中に入り、螺旋階段を降りて地下空間へ。ガラスの格子越しに眺めるルーブル宮殿の建物がまたよい。
*内部からピラミッドの構造を見上げる。。
ここがルーブルのエントランスホール。入場者はここから、ドノン、シュリー、リシュリューの各エリアへアクセスすることができます。
さてI.M.ペイはルネサンス様式の華麗な宮殿建築の中央に、古代エジプトギザのピラミッドをおきました。それもガラスで。
この組み合わせは絶妙でガラスと金属の組み合わせはパリの近代建築の象徴のようなもの。これをルーブルの中庭に置こうと思ったときにどういうものにしたらよいか、I.M.ペイは相当頭を悩ませたことでしょう。
ギザのピラミッドは黄金比に基づいて形が決まっているので造形としても完璧な姿になっている。
この誰もが知っている古代建築のフォルムをガラスで実現したことで、近代的でありながら見る人に数千年の歴史を想起させることになり、その結果16世期のルネサンス様式の宮殿空間ともなじむ。すごい。
伝統に近代を組み合わせた成功例としてオペラ座のシャガールの天井画があります。いまでこそ、その価値が認められていますが、完成当時は相当の非難の声がパリの街に溢れたといいます。このガラスのピラミッドも完成当時は同じような非難、混乱があったというけど、いまのこの姿を見るにこのピラミッドが「新しいルーブル」の象徴となり、さらにそれにとどまらず「新しいパリ」そのものを顕示している重要な存在となっている。いや、本当にすごいと思う。
中央のピラミッドの印象が非常に強いのだけど、ほかにもガラスのピラミッドが存在します。
ナポレオン広場、ドノン、シュリー、リシュリューの方向に、小さいサイズのピラミッドが3つ。
そして地下をチュイルリー公園の方に進むと、この逆ピラミッドがあります。
ルーブル入り口のピラミッドとカルーセルの凱旋門のちょうど中間地点、地下のショッピングセンターの採光として1993年に完成しました。上からガラスのピラミッドが逆さまに、そして頂点を触れ合う直前の状態でさらに小型の石のピラミッドが(システィーナ礼拝堂のアダムの創造を連想します)。
ここは時間によって光が彩る、すばらしい空間。
ルーブル誕生200年を目標に、ルーブル宮の大改装が進められました。グラン・ルーブル計画によって、ルーブルは世界屈指の芸術総合施設としてほぼ完成。チュイルリー公園など周辺も含めた大変貌をとげました。そしてその後もルーブルもパリも修復、改修をつづけ、今、美術館誕生以来、最高に充実した状態にあるといえます。