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ルーブル美術館10 ルーブルのレオナルド

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16世紀初頭、神聖ローマ帝国との争いでイタリアに攻め込んだフランス軍が目にしたルネサンス芸術の数々。武力で攻め込んだはずのフランス人は圧倒的なイタリア・ルネサンスの芸術に触れ、虜になり、ここからイタリア絵画の収集(略奪含む)が始まることになる。これがフランスの芸術大国への道の始まりであり、ルーブルの始まりとなりました。。

 

芸術を愛した国王フランソワ1世(1515-1547在位)はフランスを「芸術の国」へと導きます。1516年、フランソワ1世に招待されてフランスにやってきたレオナルドはその象徴となりました。今ルーブルには画家自身がフランスに持ち込んだ作品も含めて、5点の絵画が所蔵されています。

 「モナリザ」、「聖アンナと聖母子」、「洗礼者ヨハネ

「岩窟の聖母」、「ミラノの貴婦人の肖像」

 

ルーブルのレオナルド」とは、この5つの作品のことなのだけど、ルーブルにあるレオナルドの作品のうち「モナリザ」、「聖アンナと聖母子」、「洗礼者ヨハネ」の3点はことさらに、そのほかの収蔵レオナルドの作品、レオナルド以外の作品とは違う大きな意味をもっています。なぜならこれら3つのレオナルドの作品は、略奪されたわけでも、画商やコレクターから購入されてルーブルにやってきたのでもなく、レオナルドその人がこれら作品をもってフランスにやってきたのだから。

 

死の間際まで手を入れ続けた絵。それが「モナリザ」。

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フランス王ルイ12世が1499年に、一人娘クロードの誕生を祝うために注文され、1508年頃に製作されたのがこの「聖アンナと聖母子」。

ところがレオナルドは描きはしたがルイ12世に引き渡すことなく、晩年フランスに招聘されアンボワーズで亡くなるまで手元に持ち続けたといいます。1516年にレオナルドが亡くなったあと、この絵は弟子であるサライに相続され、それをフランソワ1世が買い取ったことで王家のコレクションとなり、ルーブルに所蔵となりました。

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1514年頃に描かれたとされる、実質レオナルドの遺作「洗礼者ヨハネ」。

このころレオナルドはヴァチカンにいて、ミケランジェロラファエロの活躍ぶりを横目に失意の時をすごしていた。そんな最中に描かれたこの絵で、洗礼者ヨハネは何とも意味ありげな笑みを浮かべながら、人差し指を天に向けて救世主の到来を預言している。

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レオナルドは1516年にフランス王フランソワ1世の招聘に応じて、3枚の絵を携えてローマを後にして、フランスのアンボワーズへと旅だったのでした。

 

レオナルドはアンボワーズで与えられたクルー館で悠々自適な余生を送ったと言います。フランソワ1世の庇護の元、何不自由することなく、イタリアでは禁止されていた解剖の研究も許された。だれにも邪魔されることなく研究や創作に没頭したフランスでの3年間はレオナルドの人生で初めて感じた「安住」ではなったか?

でもその安住は、レオナルドの望んでいたものだったのか?僕はとても気になるのけれど、それは本人に聞いてみないとわからない。

 

 

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