cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

芸術家

フィレンツェとラファエロ

37歳で他界したラファエロはルネサンスの3大巨匠と言われるレオナルドやミケランジェロと比べて、若くとても短命でした。その短い生涯の中でフィレンツェで過ごした時間もまた短かった。でも、その短い間におそらく一生分の財産を手に入れた、ラファエロに…

フィレンツェとミケランジェロ

Firenze e Michelangelo Buonalotti 「神のごとき」ミケランジェロ ローマ、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画「天地創造」を描きあげたあと、人々は彼のことをこう賞賛しました。その「神のごとき」手から数多くの彫刻、絵画、建築を世に残し、レオナ…

フィレンツェとレオナルド

"Uomo universale" 「万能の人」 人々は彼のことをこう呼びました。天文学、地質学、光学、力学、解剖学、数学、土木建築を極め、後世の様々な分野に影響を及ぼした「万能の人」はここフィレンツェで生まれ育ちました。 生涯のうち29歳までをフィレンツェで…

フィレンツェ小話 天国の門と地獄の門

フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂の東の扉にあるのは、1492年完成のロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti 1378-1455)による初期ルネサンスの傑作。この扉はミケランジェロによって「天国の門」と名付けられたのは前回お話しした通り。ミケランジェ…

フィレンツェ小話 レオナルドとS.M.N.

レオナルドは「モナリザ」をここサンタ・マリア・ノヴェッラの法皇の間で描き始めます。後に人類の至宝と呼ばれる「モナリザ」が、なぜここサンタ・マリア・ノヴェッラで描かれることになったのか、モナリザ誕生の舞台を辿ってみます。 法皇の間 1431年にロ…

ストラトフォード・アポン・エイヴォン

以前、イギリスの投稿をしたときに、ストラトフォード・アポン・エイヴォン(Stratford upon Avon)に少しだけ触れたのだけど、ヴェローナで改めてシェイクスピアに触れて、もうちょっと詳しくこの街に触れようと思いました。 シェイクスピアはこの街で1564年…

ミラノ小話 メモの価値

「メモ書き」が一枚1億円の価値をもち、「メモ書き」の展覧会が開かれると大勢の人がそれを見るために集まってくる。絵でも彫刻でもない、言ってみれば「ただのメモ」に大勢の人々が引き寄せられるのです。そう「ただのメモ」はレオナルド・ダ・ヴィンチが…

ミラノ 最後の晩餐(サンタ・マリア・デッレグラツィエ教会)

最後の晩餐(L'Ultima Cena)はキリスト教の中でもとても重要な出来事として、古くからたくさんの「絵」がイコンや芸術作品として残されています。レオナルド以外にも、たくさんの著名な画家たちがこの「キリスト処刑前夜に弟子たちと供した夕食」の場面を描い…

モネ小史

モネ(Cloud Monet 1840-1926)の生涯を彼の作品と一緒に辿ってみます。 *マネによるモネ 1840年 パリに誕生 1845年 5歳 ル・アーブルへ移住 食料品商と船具商を経営する父とアマチュア画家の母のもと裕福な暮らしていました。モネは学校の教科書にたくさんの…

ジべルニー 水の庭園

1893年にモネは花の庭に面した道路の向こう側の土地を買い足し、元々そこにあった小さな池を拡大して新たな庭を作ることにしました。「水の庭」です。 水の庭にもモネは様々な草花を植えていった。中でも水に浮かぶ睡蓮はモネの創作意欲を生涯刺激し続けるこ…

ジベルニー 花の庭園

パリから電車で40分。ヴェルノン(Vernon)という駅で降り、そこから更にバスで15分。ノルマンディーの中でもパリに近い場所、セーヌ川沿いにジべルニー(Giverny)という小さな村があります。クロード・モネがここに居を構えたのは1883年のことでした。それ以来…

ルーアンとモネ

僕がルーアンを訪ねたのはルーアン大聖堂のモネを確かめたかったからでした。モネは1892~1893年の数週間をここルーアンで過ごし、30点以上に及ぶ「ルーアン大聖堂の連作」を描きあげていきます。 モネは1872年に「印象、日の出」を描いて以降、印象派として…

モンマルトル ムーラン・ド・ラ・ギャレット

ムーラン・ド・ラ・ギャレット / Moulin de la Galette もともとモンマルトル一帯は葡萄畑や小麦畑といった田園が広がっていました。丘の所々に小麦粉を作るための風車が点在していたといいます。この風車(ムーラン/ Moulin)は今となっては数少ない名残でか…

モンマルトル アトリエ洗濯船

アトリエ洗濯船(Le Bateau Lavoir) エミール・グドー広場(Place Émile-Goudeau)の一角に立つ「洗濯船」と呼ばれるこの建物は、かつてバルセロナからパリに来たばかりの19歳のピカソ、ジョルジュ・ブラック、モディリアーニはじめ、20世紀初頭に若く情熱はあ…

モンマルトル 路地とユトリロ

モンマルトルの路地。 温かみのある家並みがとても落ち着いた風情を漂わせ、シャンゼリゼやエッフェル塔といった華やかなパリとは一線を画したもうひとつのパリがここにあります。静かな路地とその合間から顔を出すサクレクール。この街のこの空気を描き続け…

モンマルトル テルトル広場周辺

テルトル広場(Place du Tertre)は旧モンマルトル村の中心で、以前は村役場もあった場所。今は小さな広場にカフェがひしめき、その周りは画家や似顔絵描きの店で囲われます。現在ここは昼夜を問わず大勢の人でにぎわうパリ観光の目玉の一つです。 150年ほど前…

パリ小話 オルセー ラトゥールという画家

フランスには二人のラトゥールという画家がいます。一人はジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour 1593-1653)。光と影を見事に描き出す17世期に活躍した画家で、その作風から「夜の画家」と呼ばれます。僕の父は「大工の聖ヨセフ」という絵が好き…

パリ小話 オルセーとゴッホ

ゴッホは一般的に後期印象派に分類されます。でも僕は昔からゴッホの絵を見るたびに思うことがありました。 この人を後期「印象派」という名前でくくるのは適切なのだろうか、と。。 確かに2年ほどのパリ時代にゴッホは印象派の画家たちと過ごして、彼らから…

パリ小話 オルセーとルノワール

印象派の画家で、僕の中でもっとも早くブレイクした画家、ピエール・オーギュスト・ルノアール(1841-1919)。 光と空気の揺らぎを描いたのがモネ、自らの心のゆらぎを通して日常世界を描いたのがゴッホならば、ルノアールは「人々の幸せの空気を描いた」画家…

パリ小話 オルセーとモネと印象派

86年の生涯で2000点もの絵画を製作したモネ(Cloude Monet 1840-1926)。 印象派の歴史の中で、その名前の由来となる絵「印象、日の出(1872)」を描き、最後まで生き残り絵を描き続けたモネは印象派そのもの。 ここではオルセーにあるモネの作品を通して、モネ…

ルーブル界隈 オルセー美術館

オルセー美術館(Muse d'Orsey)パリ万博に合わせて1900年に開業したオルセー駅。駅として機能したのはわずか30年ほどでした。それから約半世紀後の1986年にその駅舎は改装され、オルセー駅はオルセー美術館として生まれ変わったのでした。 フランス美術の黄金…

目次 美術館・博物館

日本語では「美術館」と「博物館」と分けて使いますが、欧米ではMuseum、Muse、Museiといった一つの言葉をつかいます。各地の美術館・博物館を紹介したものをまとめます。 cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn…

ルーブル界隈  オランジェリー美術館

ルイ16世やマリー・アントワネットがこよなく愛したチュイルリー庭園。そのセーヌ川に面した一角に緑の木々の囲まれてひっそり建つのが、オランジュリー美術館(Musee de l'Orangerie)です。木々に隠れてうっかり通り過ぎそうになってしまうこの建物は、かつ…

ルーブル美術館10 ルーブルのレオナルド

16世紀初頭、神聖ローマ帝国との争いでイタリアに攻め込んだフランス軍が目にしたルネサンス芸術の数々。武力で攻め込んだはずのフランス人は圧倒的なイタリア・ルネサンスの芸術に触れ、虜になり、ここからイタリア絵画の収集(略奪含む)が始まることにな…

目次 レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチの記事へのリンクをまとめます cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com

ルーブル美術館9 ルーブルのミケランジェロ

レオナルドと違い、ミケランジェロはフランスとは特に親交があった訳ではなく、ミケランジェロがフランスに何かを成した形跡はありません。そもそも生前から「神の如き」と称されたミケランジェロはバチカン、フィレンツェ、ローマを中心にイタリアの諸国で…

ルーブル美術館7 三つの至宝 ミロのヴィーナス

ルーブルの至宝 3つ目は「ミロのヴィーナス(La Vénus de Milo)」。 「アフロディーテ(Aphrodite)」がこの彫刻のルーブルにおける正式名です。「アフロディーテ」はギリシア神話の美を司る女神のことで、ローマではラテン語でVenus(ウェヌス)とよばれました…

ルーブル美術館5 三つの至宝 モナ・リザ

フランス絵画部門を抜けていくと、広い部屋が現れます。背後にはベネツィアの巨匠ヴェロネーゼによるルーブル最大の絵「カナの婚礼」。とても有名な絵なのだけど、部屋に集まるほとんどの人がその反対側を向いているのがわかるでしょうか?この部屋にはイタ…

ルーブル美術館4 紅いルーブル

僕はルーブルの中で絵画のエリアを勝手に「紅いルーブル」と呼んでいます。 「サモトラケのニケ」のダリュの階段の向かいに広がっているフランス絵画エリアの壁が紅で、ここは作品数も大作も多く空間的に印象に残っているせいか、僕の中では「ルーブルの絵画…

ルーブル美術館3 白いルーブル

僕の中で、「ルーブルの彫刻群が展示されているスペースは白い」というイメージがある。そんなわけで、彫刻展示スペースを僕は勝手に「白いルーブル(Blanc Louvre)」と呼んでいる。 彫刻そのもののほとんどが白なので勝手に「白い」でくくってるけど、ルーブ…