芸術家
ヨーロッパ各地を歩くとカエサルの名前があちこちでみることができるの同じように、ローマの街を歩くとベルニーニの名前をあちらこちらで見たり聞いたりすることになります。 ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini,1598-1680) ルネサンスの巨匠最後の一人のミケ…
ローマの記録で最初にラファエロが登場したのは1509年「署名の間の装飾の報酬として100ドゥカートを受け取った」という記述があるそうです。ラファエロが教皇ユリウス2世の招聘に応じてローマに来たのは1508年。署名の間をはじめ教皇が使う重要な4つの部屋の…
このルネサンスの巨匠の生涯にとって、ローマとのかかわりは驚くほど少ない。 1514年レオナルド62歳のときから1516年64歳でフランスのアンボワーズに移り住むまでのわずか3年足らずをローマで過ごしただけでした。それも期間が短いだけでなく遂に仕事らしい…
ミケランジェロが初めてローマを訪れたのは1496年の初夏、22歳の時でした。ここで目にした古代ローマの彫刻や建築は、以前フィレンツェのメディチ家の庭園で得たものと同じ感動をミケランジェロに再び呼び起こしてくれたといいます。 そして生涯にわたり、ミ…
37歳で他界したラファエロはルネサンスの3大巨匠と言われるレオナルドやミケランジェロと比べて、若くとても短命でした。その短い生涯の中でフィレンツェで過ごした時間もまた短かった。でも、その短い間におそらく一生分の財産を手に入れた、ラファエロに…
Firenze e Michelangelo Buonalotti 「神のごとき」ミケランジェロ ローマ、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画「天地創造」を描きあげたあと、人々は彼のことをこう賞賛しました。その「神のごとき」手から数多くの彫刻、絵画、建築を世に残し、レオナ…
"Uomo universale" 「万能の人」 人々は彼のことをこう呼びました。天文学、地質学、光学、力学、解剖学、数学、土木建築を極め、後世の様々な分野に影響を及ぼした「万能の人」はここフィレンツェで生まれ育ちました。 生涯のうち29歳までをフィレンツェで…
フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂の東の扉にあるのは、1492年完成のロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti 1378-1455)による初期ルネサンスの傑作。この扉はミケランジェロによって「天国の門」と名付けられたのは前回お話しした通り。ミケランジェ…
レオナルドは「モナリザ」をここサンタ・マリア・ノヴェッラの法皇の間で描き始めます。後に人類の至宝と呼ばれる「モナリザ」が、なぜここサンタ・マリア・ノヴェッラで描かれることになったのか、モナリザ誕生の舞台を辿ってみます。 法皇の間 1431年にロ…
以前、イギリスの投稿をしたときに、ストラトフォード・アポン・エイヴォン(Stratford upon Avon)に少しだけ触れたのだけど、ヴェローナで改めてシェイクスピアに触れて、もうちょっと詳しくこの街に触れようと思いました。 シェイクスピアはこの街で1564年…
「メモ書き」が一枚1億円の価値をもち、「メモ書き」の展覧会が開かれると大勢の人がそれを見るために集まってくる。絵でも彫刻でもない、言ってみれば「ただのメモ」に大勢の人々が引き寄せられるのです。そう「ただのメモ」はレオナルド・ダ・ヴィンチが…
最後の晩餐(L'Ultima Cena)はキリスト教の中でもとても重要な出来事として、古くからたくさんの「絵」がイコンや芸術作品として残されています。レオナルド以外にも、たくさんの著名な画家たちがこの「キリスト処刑前夜に弟子たちと供した夕食」の場面を描い…
モネ(Cloud Monet 1840-1926)の生涯を彼の作品と一緒に辿ってみます。 *マネによるモネ 1840年 パリに誕生 1845年 5歳 ル・アーブルへ移住 食料品商と船具商を経営する父とアマチュア画家の母のもと裕福な暮らしていました。モネは学校の教科書にたくさんの…
1893年にモネは花の庭に面した道路の向こう側の土地を買い足し、元々そこにあった小さな池を拡大して新たな庭を作ることにしました。「水の庭」です。 水の庭にもモネは様々な草花を植えていった。中でも水に浮かぶ睡蓮はモネの創作意欲を生涯刺激し続けるこ…
パリから電車で40分。ヴェルノン(Vernon)という駅で降り、そこから更にバスで15分。ノルマンディーの中でもパリに近い場所、セーヌ川沿いにジべルニー(Giverny)という小さな村があります。クロード・モネがここに居を構えたのは1883年のことでした。それ以来…
僕がルーアンを訪ねたのはルーアン大聖堂のモネを確かめたかったからでした。モネは1892~1893年の数週間をここルーアンで過ごし、30点以上に及ぶ「ルーアン大聖堂の連作」を描きあげていきます。 モネは1872年に「印象、日の出」を描いて以降、印象派として…
ムーラン・ド・ラ・ギャレット / Moulin de la Galette もともとモンマルトル一帯は葡萄畑や小麦畑といった田園が広がっていました。丘の所々に小麦粉を作るための風車が点在していたといいます。この風車(ムーラン/ Moulin)は今となっては数少ない名残でか…
アトリエ洗濯船(Le Bateau Lavoir) エミール・グドー広場(Place Émile-Goudeau)の一角に立つ「洗濯船」と呼ばれるこの建物は、かつてバルセロナからパリに来たばかりの19歳のピカソ、ジョルジュ・ブラック、モディリアーニはじめ、20世紀初頭に若く情熱はあ…
モンマルトルの路地。 温かみのある家並みがとても落ち着いた風情を漂わせ、シャンゼリゼやエッフェル塔といった華やかなパリとは一線を画したもうひとつのパリがここにあります。静かな路地とその合間から顔を出すサクレクール。この街のこの空気を描き続け…
テルトル広場(Place du Tertre)は旧モンマルトル村の中心で、以前は村役場もあった場所。今は小さな広場にカフェがひしめき、その周りは画家や似顔絵描きの店で囲われます。現在ここは昼夜を問わず大勢の人でにぎわうパリ観光の目玉の一つです。 150年ほど前…
フランスには二人のラトゥールという画家がいます。一人はジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour 1593-1653)。光と影を見事に描き出す17世期に活躍した画家で、その作風から「夜の画家」と呼ばれます。僕の父は「大工の聖ヨセフ」という絵が好き…
ゴッホは一般的に後期印象派に分類されます。でも僕は昔からゴッホの絵を見るたびに思うことがありました。 この人を後期「印象派」という名前でくくるのは適切なのだろうか、と。。 確かに2年ほどのパリ時代にゴッホは印象派の画家たちと過ごして、彼らから…
印象派の画家で、僕の中でもっとも早くブレイクした画家、ピエール・オーギュスト・ルノアール(1841-1919)。 光と空気の揺らぎを描いたのがモネ、自らの心のゆらぎを通して日常世界を描いたのがゴッホならば、ルノアールは「人々の幸せの空気を描いた」画家…
86年の生涯で2000点もの絵画を製作したモネ(Cloude Monet 1840-1926)。 印象派の歴史の中で、その名前の由来となる絵「印象、日の出(1872)」を描き、最後まで生き残り絵を描き続けたモネは印象派そのもの。 ここではオルセーにあるモネの作品を通して、モネ…
オルセー美術館(Muse d'Orsey)パリ万博に合わせて1900年に開業したオルセー駅。駅として機能したのはわずか30年ほどでした。それから約半世紀後の1986年にその駅舎は改装され、オルセー駅はオルセー美術館として生まれ変わったのでした。 フランス美術の黄金…
日本語では「美術館」と「博物館」と分けて使いますが、欧米ではMuseum、Muse、Museiといった一つの言葉をつかいます。各地の美術館・博物館を紹介したものをまとめます。 cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn…
ルイ16世やマリー・アントワネットがこよなく愛したチュイルリー庭園。そのセーヌ川に面した一角に緑の木々の囲まれてひっそり建つのが、オランジュリー美術館(Musee de l'Orangerie)です。木々に隠れてうっかり通り過ぎそうになってしまうこの建物は、かつ…
16世紀初頭、神聖ローマ帝国との争いでイタリアに攻め込んだフランス軍が目にしたルネサンス芸術の数々。武力で攻め込んだはずのフランス人は圧倒的なイタリア・ルネサンスの芸術に触れ、虜になり、ここからイタリア絵画の収集(略奪含む)が始まることにな…
レオナルド・ダ・ヴィンチの記事へのリンクをまとめます cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com
レオナルドと違い、ミケランジェロはフランスとは特に親交があった訳ではなく、ミケランジェロがフランスに何かを成した形跡はありません。そもそも生前から「神の如き」と称されたミケランジェロはバチカン、フィレンツェ、ローマを中心にイタリアの諸国で…