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パリ小話 オルセーとルノワール

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印象派の画家で、僕の中でもっとも早くブレイクした画家、ピエール・オーギュスト・ルノアール(1841-1919)。


光と空気の揺らぎを描いたのがモネ、自らの心のゆらぎを通して日常世界を描いたのがゴッホならば、ルノアールは「人々の幸せの空気を描いた」画家だと僕は思っている。

ルノアールの絵はほとんどの場合主題は人間であり、ほとんどの場合その人たちの表情は幸せに満ちている。僕が最初にルノアールが好きになった理由はここにありました。

ルノワールはほかの印象派の画家たちと違い、新しい絵画一辺倒ではなく古典も勉強しながら新しい手法を探っていました。古典を標榜する友人ファンタン・ラトゥールと模写をするためルーブルに通う傍ら、モネやシスレーら、後に印象派と呼ばれる画家たちと野外製作に勤しんだりしていた。1863年からは古典主義的な絵を描きサロンに出品し、何度か入選もするが、1870年代になってサロンは硬直して以降、ルノワールも活動の軸を印象派に移し第1回〜第3回の印象派展に出品します。

 

そして第3回の印象派展に僕の大好きな2枚の絵が出品されるのです。

最初の一枚は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(1876)」

第3回印象派展でもっとも注目を集めた作品とされています。が、世間はまだどこか印象派に対して斜に構えたところがあり、注目を集めた分だけ厳しい評価をうけることにもなりました。

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 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は今では、おそらくルノワールの中でもっとも有名な絵で、僕もルノワールの作品として一番早くその存在を知った絵です。

モンマルトルの中腹にある社交場に集まった人々、木漏れ日の下でその人の数だけ幸せが描かれている、そんな絵です。

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そして「ぶらんこ(1876)」

モンマルトルのアトリエ近くで描かれた、木漏れ日の中過ごす労働者階層の人々の姿。

当時の労働者階層は決して裕福ではないし生活も厳しかったはずだけど、ルノワールに描かれる姿は、みんな幸せそう。

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 当時印象派展は話題にはなるものの、酷評されるばかりで大きな成果につながることはないため、どうしても生活という面で印象派だけでは成り立たない。1878年ルノワールはサロンへ再挑戦して入選を果たします。サロンの入選は「絵が売れる」ことに直結し、経済的な安定につながるため、ルノワールの入選をきっかけにモネやシスレーといった印象派の他のメンバーが続いてサロンに出品するようになるのです。一方で自分たちの絵の主張を曲げることになるサロンへの出品を良しとしないドガなどのメンバーとの確執を生むことになるのでした。それはやがて印象派の解体へとつながっていくのです。

 

1878〜1880年3年連続でサロン入選を果たした後、描かれたのがこのダンスの作品。

 「田舎のダンス」と「都会のダンス」ともに1883製作。ムーラン・ド・ラ・ギャレット、ブランコから7,8年の後、サロン入選などを経ての作品だけに、曖昧な輪郭、光と空間といった印象派の作風とは断絶された別ものとなっています。それでもまだ「田舎のダンス」は幸せな空気が絵の中に満たされているのだけど、「都会のダンス」のほうは、幸せな空気すら消えていてルノワールの絵じゃないと言われても疑わなかったかもしれません。

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そして田舎と都会の「ダンス」からさらに10年、この絵が生まれます。

 「ピアノを弾く娘たち(1892)」ルノワール51歳で初めての国家買い上げとなった絵。

政府買取と合わせて、世間から「大画家の成熟して独自の境地に達した作品」と高い評価を受けた一枚。

ルノワールは自分の作品に満足することがなかったので、この絵にたどり着く前に5枚の油彩と1点のパステル画を製作しています。サロン向けの絵を描いていた80年前後、いったん印象派の表現から離れて、この時には古典に印象派の手法を融合して、かつルノワールの色で彩られた幸せの空気に満たされた円熟の作品で、この絵はしばしば「真珠色の」と形容され賞賛される、ルノワール51歳、絶頂期の作品です。

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この後、ルノワールリューマチを患いながら78歳の生涯を終える直前まで描き続けます。最後は動かない指に絵筆をくくりつけながら絵を描き続け、その感性は最後まで衰えることがなかったと言います。

 

オルセーには50点を超えるルノワールのコレクションがあり、常時多くの作品が展示されています。

僕は30年近く前にアジアの端っこからオルセーに出かけて、ルノワールの絵を2枚50F(くらいだったかな?)で買いました(もちろんお土産もの)。その絵はモネの「日傘をさす女」と一緒に今でも大切に飾っている。

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他の印象派の画家とともに、最初はなかなか認められることがなかったけど、徐々に世の中に認められ、フランス政府に絵を買取られるまでになり、生前に絶頂期を迎えられたルノワールは当時から「偉大な画家」として受け入れられていました。

たくさんの苦労はあっただろうけど、幸せで偉大な人生であったでしょう。

 

また、いつかパリに行く機会があれば、僕は必ずオルセーの最上階へ出かけて、ルノワールに会いに行くと思います。

 

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