モンマルトルの路地。
温かみのある家並みがとても落ち着いた風情を漂わせ、シャンゼリゼやエッフェル塔といった華やかなパリとは一線を画したもうひとつのパリがここにあります。
静かな路地とその合間から顔を出すサクレクール。この街のこの空気を描き続けたのがモーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883-1955)。ユトリロはモンマルトルの風景を好んで描きました。表のパリの「華やか」「洗練」とはちょっと離れた、石畳と白くくすんだ壁の家並み、ユトリロが描いたのはモンマルトルの「素朴」でした。
「ノルヴァン通り(Rue Norvins)」
「サン・リュスティック通り(Rue Saint-Rustique)」
ユトリロは画家である母親の私生児として生まれ、幼い頃から情緒不安定で精神病院に通わされる。大人になってからは重度のアルコール依存症に陥り、病院と酒場を行ったり来たりの生活だったといいます。
19歳のときからモンマルトルに住みはじめ、独学で絵を描き始める。30歳を前に、このころから徐々にモンマルトルで絵描として知られ、絵が評価されてどんどん高く売れるようになっていくのだけど、絵の評価とは裏腹に絵を描きながら酒を煽り騒ぎを起こしては病院に収監されるということを繰り返す人生でした。
彼の素朴な絵からはとても想像できない人生です。
ユトリロは細い路地や道の向こうにサクレクールが見える絵をたくさん描いている。道がそのまま開けてサクレクールにつながるのではなくて、道の先が見えなくなってサクレクールに繋がっているのかわからない。そういう絵が多い。先は見えない、でも大きな希望がそこにはあるはず。ユトリロを虜にしたモンマルトルの路地には、彼の精神の闇とアルコール依存症を抱えた苦しい心を通して、淡く希望の光が灯されているのが見えていたのではないかと、その希望の光にすがりたかったから描き続けたのではないか、と思わずにはいられません。