パリに葡萄畑(Vignoble)?と最初は思ったのだけど、そもそも現在は観光地であり住宅街であるモンマルトルはその昔には丘全体を葡萄畑に覆われていたので、ここに葡萄畑があることは本来自然な話です。
今ではこのわずかな場所に残るのみとなったパリ唯一、モンマルトル唯一の小さなブドウ畑は第1次世界大戦後に瀕死の状態となった畑にパリ市が苗を植え直し、育てて守ってきたものでした。毎年10月に収穫祭が行われ、この畑からはパリ・モンマルトル産の500本のワインが生まれるそうです。
葡萄畑のはす向かいにあるのがオ・ラパン・アジル(Au Lapin Agile)。「すばしっこいウサギ」という名の100年以上続くシャンソン酒場です。
ユトリロがこの界隈の絵を描いていたころは「殺し屋の居酒屋」というなんとも物騒な呼ばれ方をされてたとか。
建物はもともと住宅として18世紀から存在し、酒場になったのは19世紀中頃から。1880年ごろに画家のA・GILL(アンドレ・ジル)が今も残る跳ねるうさぎの看板を壁に描き、「ラパン・アジル」と呼ばれるようになりました。19世紀末はルノワールやゴッホが、20世紀に入ってからはピカソやローランサン、マティスやユトリロといった貧乏画家や詩人、文化人たちの溜まり場となったといいます。 ここでもまた新しい芸術や思想が生み出されるために多くの才能が、エネルギーをぶつけ合い大きく蓄えられていたのです。
今でも現役の、昔の風情をのこしたままのシャンソニエ。いつか中を覗いてみたい。
歴史上、ある限られた場所、限られた時代に多くの才能が集まって大きなムーブメントを起こしたり、時代の流れを変えてしまうということが起こってきました。紀元前5世紀のアテネ、紀元前1世紀のローマ、15世紀のフィレンツェ。いずれも天才と呼ばれる人が何人も集中してひとつの時代を作ったのです。
19世紀から20世紀初頭のパリもそれに近い状態でした。ただパリの場合、ペリクレスやフェイディアス、カエサルやアウグストゥス、レオナルドやミケランジェロといったスーパースターはいないけど、でも大勢の才能が集まり刺激し合い、芸術のうねりをいくつも生み出したのです。
次はもう一つ、モンマルトルで新しい芸術が生み出された場所を紹介します。