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ルーブル美術館3 白いルーブル

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僕の中で、「ルーブルの彫刻群が展示されているスペースは白い」というイメージがある。そんなわけで、彫刻展示スペースを僕は勝手に「白いルーブル(Blanc Louvre)」と呼んでいる。

彫刻そのもののほとんどが白なので勝手に「白い」でくくってるけど、ルーブルの中ではちゃんと古代ギリシアエトルリア、ローマ、そしてその後の時代の展示スペースが区別されてコンセプトやデザインも分けられている。

 

ここはギリシア彫刻の「カリアティドの間」

ここには古代ギリシア彫刻が納められています。

カリアティドとはギリシアアテネアクロポリスに、パルテノン神殿の横にエレクテイオンという小ぶりの神殿があり、そのテラスの屋根を支える美しい柱のこと。奥の模擬テラスを支える4本の柱がそれで、リアルな女性を模っています。ただここにあるものは古代ローマで作られたレプリカがほとんど。ギリシアにあった本物はそれ自体が失われています。

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僕の中では、「彫刻」という芸術は古代ギリシア、とりわけ紀元前5世紀に完璧なものとして完成してしまっていて、それ以降の彫刻とは、その「究極のギリシア」にいかに近づくことができるかを競った歴史、と感じているんです。

その究極とはパルテノン神殿アクロポリスの彫刻群に現れます。そこにはパルテノン神殿建築を進めた天才彫刻家フェイディアスを頂点にして、想像を超えるような作品を残しました。現代に伝わる彫刻たちからは、主に神々=人の姿をしていて、石なんだけど、衣を纏った生身の人間がそこにいるような、これは本当に石なのか?と見紛うものたちばかり。

その表現力たるや感動的です。

 

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 実際に古代ギリシアの彫刻を見た、古代ローマ人はその芸術性に感激して、それらをコピー、それもかなり精巧にコピーしたレプリカをたくさん作りました。コピーを通して自分たちの彫刻技術を高め、やがてレプリカばかりではなく皇帝の像や街を彩る装飾やモニュメントとして彫刻で街を埋め尽くした。

やがてローマが衰退して、暗黒の中世を過ごした後、ルネサンスを開花させたイタリアの人たちは、土から出てきた古代ギリシア・ローマの芸術水準の高さを再認識して、古代ローマ人と同じように古代の彫像を発掘収集して、学び、自分たちの芸術として昇華させた。絵画とはちがった道をたどるけど、これもルネサンス

ルーブルではそんな歴史を辿れるように展示がなされています。

  

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古代ローマ人とは、他国の良いところをどんどん取り入れて、自分たちのものに昇華させていく人たち。エトルリア人からは技術を学び、ギリシア人からは学問と芸術を学びとりました。ギリシアの芸術(とりわけ建築や彫刻)はローマで模倣され進化したのですが、その水準はとても高く、ルーブル以外でも失われたギリシアの名品がローマのレプリカのおかげで、現代まで伝わっているという例もたくさんあります。 

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ここはルネサンス期の彫刻をあつめたコーナー。手前にあるのがミケランジェロの「瀕死の奴隷」。ミケランジェロは人類最高峰の彫刻家であることは疑う余地はないのだけど、古代ギリシアの彫刻の前ではその輝きも霞んでしまいそう。僕にはそんな風にすら見える。

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白いルーブルは、人類の頂点極めたギリシアを起点に、それを完コピして自分たちのものにした古代ローマ人の心意気を感じながら、古代の芸術を復興したイタリアのルネサンス彫刻を時が流れるように見ることができます。

白いルーブルを見るたびにギリシア彫刻の圧倒的な存在感に圧倒されます。そして模倣しながらも自らのアイデンティティを確立しようとする後世の彫刻家の努力の結晶。そんなドラマが白いルーブルにはあるんですよね。

そして、どれにも共通して素直に感じるのは「これは本当に石なのか?!」こんな思いを抱かずにはいられません。

 

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