ルーブル
僕はシテ島をあとにして、セーヌ沿いをルーブル方面へ。 パリで一番好きな芸術の橋「ポン・デ・ザール(Pont des'Art)」へ。 ここも朝一番は誰もいなくてとても気持ち良い。 車は通れない「人のため」の橋。床は木で覆われていて、ここを渡る時は足から伝わっ…
ルイ13世の宰相リシュリューがルーブルに住む王のすぐそばに居たいと、建てさせた家がいまのパレロワイヤルの前身「パレ・カルディナル」。17世紀、宰相の死後に太陽王ルイ14世が幼少期にここに移り住み、過ごしたことから「パレ・ロワイヤルPalais Rayal(王…
16世紀初頭、神聖ローマ帝国との争いでイタリアに攻め込んだフランス軍が目にしたルネサンス芸術の数々。武力で攻め込んだはずのフランス人は圧倒的なイタリア・ルネサンスの芸術に触れ、虜になり、ここからイタリア絵画の収集(略奪含む)が始まることにな…
レオナルドと違い、ミケランジェロはフランスとは特に親交があった訳ではなく、ミケランジェロがフランスに何かを成した形跡はありません。そもそも生前から「神の如き」と称されたミケランジェロはバチカン、フィレンツェ、ローマを中心にイタリアの諸国で…
ルーブルの3つの至宝のうち、サモトラケのニケは1863年にギリシアはエーゲ海のサモトラケ島で、当時のフランス領事が発見したときは118ものカケラに過ぎなかったといいます。それを持ち帰り、復元、いまのような姿となってルーブルの至宝として大切に展示さ…
ルーブルの至宝 3つ目は「ミロのヴィーナス(La Vénus de Milo)」。 「アフロディーテ(Aphrodite)」がこの彫刻のルーブルにおける正式名です。「アフロディーテ」はギリシア神話の美を司る女神のことで、ローマではラテン語でVenus(ウェヌス)とよばれました…
僕がルーブルの中で一番好きな作品。 ルーブルの気品あふれるダリュ階段の踊り場に展示される勝利の女神「ニケ」の像、「サモトラケのニケ(Victoire de Samothrace)」。 このサモトラケのニケは、制作年が紀元前3世紀とも紀元前2世紀とも言われ、作者は不明…
フランス絵画部門を抜けていくと、広い部屋が現れます。背後にはベネツィアの巨匠ヴェロネーゼによるルーブル最大の絵「カナの婚礼」。とても有名な絵なのだけど、部屋に集まるほとんどの人がその反対側を向いているのがわかるでしょうか?この部屋にはイタ…
僕はルーブルの中で絵画のエリアを勝手に「紅いルーブル」と呼んでいます。 「サモトラケのニケ」のダリュの階段の向かいに広がっているフランス絵画エリアの壁が紅で、ここは作品数も大作も多く空間的に印象に残っているせいか、僕の中では「ルーブルの絵画…
僕の中で、「ルーブルの彫刻群が展示されているスペースは白い」というイメージがある。そんなわけで、彫刻展示スペースを僕は勝手に「白いルーブル(Blanc Louvre)」と呼んでいる。 彫刻そのもののほとんどが白なので勝手に「白い」でくくってるけど、ルーブ…
ルーブル美術館(Musee du Louvre) いろいろ書き進めてきたら内容が増えてきたので、目次のページを作りました。 cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.comcmn.hatenablog.comcmn…
ルーブル美術館の展示は、古代オリエント、古代エジプト、古代ギリシア・エトルリア・ローマ、彫刻、絵画、工芸美術、素描・版画の7つの部門に分かれています。 時代やその背景に従って、部門の繋がりもあり、それぞれが工夫して魅力的な展示を見せてくれて…
1200年にパリ防衛上もっとも弱いところに築かれた砦がルーブルの建物の始まりです。最初の建物は現在のルーブルの東端クールカレと呼ばれる正方形の部分(シテ島側のポン・デ・ザールと繋がるところ)で、当時ラテン語で「ルブラ(Rubras)」と呼ばれていました…
ポン・デ・ザール セーヌ川にかかる橋で、数少ない車の通れない人のための橋。木の床は優しく、歩いてとても心地よい橋。 この華奢な鉄のアーチの連続が見た目のとても繊細な印象を作ります。セーヌにかかる橋の中で最も美しく、絵になる橋だと僕は思うので…
「ルーブル」の名前はおそらく美術に興味のない人でも、どこかで聞き覚えのある響きを感じると思います。ルーブル美術館はかつて王宮だった建物を転用、進化させて今では世界最大級の美術館となっているのです。またこの周りには、ルーブルのほかにも世界屈…