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ルーブル界隈 芸術橋 Pont des Arts

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ポン・デ・ザール

セーヌ川にかかる橋で、数少ない車の通れない人のための橋。木の床は優しく、歩いてとても心地よい橋。

 

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 この華奢な鉄のアーチの連続が見た目のとても繊細な印象を作ります。セーヌにかかる橋の中で最も美しく、絵になる橋だと僕は思うのです。

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ポン・デ・ザール(Pont des Arts)は1802年にナポレオンによって建設が命じられ、ルーブルとフランス学士院を繋ぐ鉄の歩道橋として誕生しました。当時ルーブルが「芸術の宮殿(Palais des Arts)」と呼ばれていたことに由来して、この橋は「芸術の橋(Pont des Arts)」と名付けられました。

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ルーブルの対岸にあるフランス学士院(Institute de France)。国の支援を受けて人文、科学、芸術などの分野に関する学術研究活動を行う4つの国立アカデミーで構成されています。フランス王政期から存在していてフランス革命以前は王立アカデミーとして存在していました。

この学術の中心と芸術の宮殿を結ぶためにポン・デ・ザールは作られた。

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ポン・デ・ザールは戦争時の爆撃や船の激突などでダメージを受け閉鎖となります。1979年に起きた船の衝突事故でついに崩壊してしまいました。今見ることができるポン・デ・ザールは1984年にオリジナルのデザインで復元された新しい橋です。

 

ルーブル側からシテ島をバックに、遠くにノートル=ダムの鐘楼が見えます。

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ポン・デ・ザールの「愛の南京錠」

何がきっかけで始まったのかわからないのだけど、2008年頃から始まった風習??だそうで、恋人同士が永遠の愛を誓って南京錠に名前を書き、ポンデザールにその南京錠をかける。永遠を保証するためにその鍵はセーヌに投げ入れる、というもの。話としてはロマンティックでうっとりするが。

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 これがあまりに流行ってしまったために、ポン・デ・ザールは総重量50tもの永遠の南京錠で溢れかえってしまった。もともと華奢な作りのこの橋は一時期崩壊寸前の状態までになってしまい、しばらくの期間閉鎖されてしまったという事態に。

永遠のはずの南京錠は大半が外され、その後に南京錠があまり取り付けられないように改装された(このページの1枚目の写真では橋の柵が網状になっていて、そこに南京錠が鈴なり状態でした。対して、3枚目2018年の写真では透明アクリル板に変わっているのが分かります)。

それでも、取り付けられる僅かな隙を狙って、この状態。気持ちはわからんでもないけど、そんな神頼み的なことにこの橋を使わないでいただきたい。。。

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5月のパリは通りのマロニエ並木に花があふれます。

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 ポン・デ・ザールはルーブル宮の建物をバックにする時が一番映えると思うのです。芸術の殿堂と芸術の橋。戦争の爆撃からも船の激突からも復活したこの景色が、いつまでも残ることを祈るばかりです。

 

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