僕はルーブルの中で絵画のエリアを勝手に「紅いルーブル」と呼んでいます。
「サモトラケのニケ」のダリュの階段の向かいに広がっているフランス絵画エリアの壁が紅で、ここは作品数も大作も多く空間的に印象に残っているせいか、僕の中では「ルーブルの絵画展示室は紅」と記憶に刻まれているのです。
グラン・ルーブル計画で展示スペースも改革されて、現在の実際の展示室の壁はフランス、イタリア、北方フランドル(ベルギーやオランダ)といった地域ごとに色分けされています。フランス絵画は紅、イタリアはベージュ、オランダ北方絵画はグレー系、というように。
ここではルーブルの絵画展示のイメージを伝えるとともに、ほんの少し絵の紹介も。
ここは紅のフランス絵画。
こちらはフランス人画家ダヴィッド(Jacques-Louis David)による「ナポレオンの戴冠式」。巨大な絵です。
正式名は「1804年12月02日、パリのノートルダム大聖堂での大帝ナポレオン一世の成聖式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式(Sacre de l'empereur Napoléon Ier et couronnement de l'impératrice Joséphine dans la cathédrale Notre-Dame de Paris, le 2 décembre 1804)」
ダヴィッドは当時ナポレオンの首席画家として活躍し、ナポレオンにまつわる絵を残しています。またその前後には古代ギリシア、ローマ、フランス革命など歴史的場面を描いた作品を多く残した新古典主義を代表する画家です。ダヴィッドはナポレオン失脚後はブリュッセルに亡命して78年の生涯を終えます。
僕はダヴィッドの絵の中では「マラーの死(ベルギー王立美術館)」がもっとも好きなのですが、この時(2018年)にはこの絵がルーブルに来ていたので、偶然の対面を果たせました。。
「メデゥース号の筏(Le Radeau de la Méduse)」
テオドール・ジェリコー(Theodore Gericaurt)によって1819年に完成した、こちらも巨大な絵です。中学校の美術の教科書にも載っていた絵で、そこでは三角形の構図、希望と絶望の対比といった解説があったと記憶しています。
ジェリコーはダヴィッドの「マラーの死」の影響をうけて、フランス海軍の軍艦で起きた実際の海難事故を題材としてこの絵を描きました。この絵はフランスだけでなくイギリスでも展示され、その後のドラクロア、クールベ、マネ、そしてターナーに影響を与えたと言います。
実際にこの絵を前にすると、その大きさのせいもあるけれど、その迫力たるや凄まじいものがあり、毎度圧倒されてしまうのです。
そしてドラクロアの絵が並びます。
この写真は1996年の写真。
こちらは2018の写真。
フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugène Delacroix)
「サルダナパールの死(La Mort de Sardanapal)」1827年に完成した。バイロンの戯曲に基づいてアッシリアのサルダナパールの悲劇的な最期を描いたものです。ドラクロアはこのすぐ後に、「民衆を導く自由の女神」を描くことになるのです。
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres)による
「グランド・オダリスク(La Grande Odalisqu)」ナポレオンの妹によって制作依頼され1814年に完成。
時々こういう光景に出会います。名画を模写する現代の画家。なんと贅沢な。。。
アングルはダヴィッドの後継者とされ新古典主義の画家として活躍しました。ロマン主義と言われるドラクロアとは一線を画す。背骨が長すぎるとか左右の腕の長さが違うとか解剖学的には正しくないものの、そのマニエリスム的な表現が絵の印象を決定づけています。アングルはこの絵を通じて古典主義とは違う新しい表現の模索をしていたと言います。
僕の父も好きだったジョルジュ・ラトゥール、フランドル絵画も好きなのですが、良い写真が残って無いので割愛です。
イタリア絵画
イタリア・ルネサンスの3巨匠の一人、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio)。この人が亡くなる1520年をもってルネサンスが終わるという重要人物です。ですが、ルーブルの中では比較的静かな存在です。
こちらは1508年にフィレンツェで製作された「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ」
またの名を「美しき女庭師」。イエスの将来の受難の予兆を示した主題。聖母のとてつもなく柔らかな表情やイエスとヨハネの表現はラファエロそのものです。加えて全体的なトーン、背景など、レオナルドのあの絵の影響が感じ取れます。ザ・ルネサンスな一枚です。
ルイ14世以来、フランス王家のコレクションに加わっていた記録があるのだけど、誰が製作依頼したのか、なぜフランスに来たのか不明なまま。
こちらは「カナの婚宴(Nozze di Cana)」
パオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese)が1563年ヴェネツィアで描いた作品。ガリラヤのカナで行われた結婚披露宴でキリストが初めて奇跡(水をワインに変える)を起こした場面が描かれています。ヴェロネーゼは後期ルネサンス(マニエリスムとも呼ばれる)・ベネツィア派3巨匠の一人。豪華な婚礼の様子は当時のヴェネツィアの結婚披露宴がモデルになっていると言います。
横幅約10mのルーブルで最大の絵画です。
第一次世界大戦で敗戦国となったフランスは、連合国から今まで戦利品として摂取、所持してきた多くの美術品の返還を迫られます。その時に「これだけは残したいと」イタリアに嘆願して許された一枚です。
そのカナの婚礼の向かい、大勢の人が視線を向けるその先に、あの絵があるのです。