ピッティ宮殿とピッティ美術館、別名パラティナ絵画館 / Galleria Palatina
メディチ家に対抗したピッティ家の大宮殿として1457年に着工。最初の建築家はブルネレスキでした。しかしメディチ家を意識しすぎてピッティ家は破産してしまいます。宮殿完成を待たずにピッティ家がフィレンツェから去った後、この宮殿はメディチ家が買い取り、その後200年間メディチ家の住処となりました。(無骨な石で覆われたピッティ宮殿の外観の写真がどうしても見つからず。。。)。
ヴァザーリはこのピッティ宮殿とヴェッキオ宮殿を「ヴァザーリの回廊」で繋ぎ、ピッティ宮殿は400年もの間増改築を繰り返し、ようやく落ち着いたのは19世紀になってからでした。
そのピッティ宮殿に、フィレンツェではウフィツィに次ぐ規模の美術館があります。
ピッティ美術館、またの名をパラティナ絵画館です。
18世紀、メディチ家は永久にフィレンツェの街から持ち出さないことを条件に、全ての遺産をフィレンツェに寄贈しました。パラティナ絵画館にはルネサンス、バロックの名画、1500年以降の作品を中心としたメディチ家のコレクション約1000点が並ぶのです。
1828年に一般公開されたこれら作品はフィリッポ・リッピ、ボッティチェリ、ヴェロネーゼ、ティツィアーノ、カラバッジョといったイタリア画家のほか、ルーベンス、ヴァン・ダイクといったフランドルの画家の作品も。
パラティナ絵画館の中で特に惹かれるのはフランドルの英雄、バロックの巨匠ルーベンスと、レオナルドとミケランジェロと並び賞されるルネサンスの巨匠ラファエロの作品群です。
■小椅子の聖母子 (Madonna della Seggiola ラファエロ/Raffaello Sanzio 1510年ころ)
パラティナ絵画館の中、全てのコレクションの中で、この「小椅子の聖母子」にもっとも惹かれます。1510年頃ローマで描かれた作品。
聖母マリアの人間的なとても優しい表情。この絵に言葉は必要ありません。
レオナルドの絵のような神秘さはなく、ミケランジェロの絵や彫刻のようなエネルギーは無い。しかしラファエロの残した絵は何か人間的で暖かい空気のようなものが溢れているんです。
■戦争の帰結 P.P.ルーベンス(Peter Paul Rubens 1637年頃).
フィレンツェに住んでいたフランドルの画家が、ルーベンスに依頼して制作した。もともと画家が所有していたところ、1691年にメディチ家が購入してピッティ宮殿に移されたこの作品は17世紀の三十年戦争によって荒廃したヨーロッパの姿を描いた作品。
軍神マルスとマルスを戦争に導こうとトーチを掲げて引っ張る怒りの女神アレクト、マルスを引き止めようとする女神ヴィーナス。
構図といい、風が吹き抜ける感じといい、とてもルーベンスらしい作品です。
ナポレオンのイタリア侵攻の際に、ピッティ宮殿の美術品は略奪に合い、フランスへ持ち去られてしまいました。いくつかはイタリアに戻ったといい、戻らないものもあるといいます。ルーベンスのこの絵の通り、争いによって芸術も知性も調和も、慈愛もなにも全て踏み躙られる。争いを止めることをしない人間世界の治りようのない現実です。