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ルーブル美術館9 ルーブルのミケランジェロ

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レオナルドと違い、ミケランジェロはフランスとは特に親交があった訳ではなく、ミケランジェロがフランスに何かを成した形跡はありません。そもそも生前から「神の如き」と称されたミケランジェロバチカンフィレンツェ、ローマを中心にイタリアの諸国での仕事で手一杯な状況だった。同じルネサンスの巨匠と並び称されてもレオナルドとは対照的な人生を歩んでいました。

 

ルーブルにあるミケランジェロの作品「奴隷」の2体は、ローマの教皇ユリウス2世の霊廟に飾られる予定だったもの。ユリウス2世は自身の霊廟の製作をミケランジェロに依頼し、これら奴隷像はその壮大な霊廟に配置されるために1513年ー1516年に製作された6体の奴隷像のうちの2体(4体はフィレンツェのアカデミア美術館に収蔵)。

 

人間の愚かな欲望に抵抗する姿を現す「抵抗する奴隷(左)」と、

抵抗することをやめ死を受け入れる恍惚を現す「瀕死の奴隷(右)」 

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 さて 教皇ユリウス2世といえばあのバチカンシスティーナ礼拝堂の天井画をミケランジェロに描かせた人物なのだけど、天才ミケランジェロと同じく曲者同志、衝突が絶えなかったことで有名でした。当初壮大な計画で進められた霊廟でしたがユリウス2世の死によってミケランジェロの意思に反して大幅縮小が命ぜられ、場所もユリウス2世が夢見たサン・ピエトロ寺院ではなく、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂内に壁面墓として残されることになる。

その結果、奴隷像は未完成のまま放置されることとなりました。ちなみにユリウス2世の霊廟中央に置かれている巨大なモーゼの像はこの奴隷像と同時期に製作されており、その迫力たるやミケランジェロの底知れぬエネルギーが500年経った今でも放たれているのが分かります。

 

未完のままの2体の奴隷像は1546年頃にフランスに渡りました。

冒頭書いた通り、ミケランジェロとフランスには特に関係も交流もなかったのですが、昔ミケランジェロが病気を患った際、献身的に看病をしたフィレンツェ出身のロベルト・ストロッツィ(Roberto Strozzi)という人物がいて、ミケランジェロは行き場のなくなった奴隷像のうち2体をこのロベルト・ストロッツィに贈ったのでした。フランスのリヨンに亡命していたストロッツィは、奴隷像を国王フランソワ1世に献上し、最終的にルーブルのコレクションに加わることになりました。ルーブルはこうして幸運にもミケランジェロの未完の傑作を手に入れることになるのです。イタリア以外で見ることができるミケランジェロの彫刻作品は、この奴隷像の他はベルギーのブルージュ大聖堂にある「聖母子像」くらいなのだから、この幸運の価値は計り知れません。

 

ルネサンスの天才ミケランジェロ。「神の如き」「万能人」生前からあらゆる人類最高の称号を与えられていた。実際、ルネサンス最高の彫刻家であり、絵画、建築でも後世に残る、また大きな影響を及ぼした作品を数多く残していて、人類の美術史上最高の芸術家のひとりであることに間違いはない。

一方で、ミケランジェロは自身を「彫刻家」であると公言していて、ユリウス2世に命ぜられシスティーナ礼拝堂の天井画「天地創造」を描くときも「なぜ彫刻家が絵を?」と反発しながらの製作だったと言います。でも、出来上がる作品は「神の如き」と称され、今に至るまで人類の至宝として大切に残されている。

肝心の「彫刻」の分野では、これまたルネサンス最高の彫刻家であることは間違いなく、その後のマニエリスムの流れを作ったことでもとても重要な役割を果たした訳ですが、これらは外から見たときのミケランジェロの評。

当時すでに古代ギリシアによって到達した「彫刻の完璧」がすでにあり、彫刻家ミケランジェロとしてその完璧を超える彫刻とは何か?という根源的な問いをミケランジェロは生涯抱えて過ごしたはず。絵画の世界は過去に比較対象がなく、例えばレオナルドの「モナリザ」が「人類史上最高」であることは疑う余地はない。でも彫刻の世界は常に「完璧な古代ギリシア」が立ちはだかり、ミケランジェロは奇跡のような作品を生み出しながら、常にその消えることのない苦悩を抱えていた。優れた芸術家であれば余計にその苦悩は深いものだっただろう。人は認めても自身が認めない。

ルーブルにある「抵抗する奴隷」と「瀕死の奴隷」はそんなミケランジェロの心の内を表した作品であるような、そんな気がしてなりません。

 

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