ゴッホ
僕の会社は天王洲、寺田倉庫(美術館)から歩いて5分。寺田倉庫は以前は「スターウォーズ模型展」や「ジブリ展」といったメジャーどころから、「建築模型展」というとても渋い展覧会など、とても僕の好みにマッチした企画展を提供してくれます。この日は昼食…
ゴッホは一般的に後期印象派に分類されます。でも僕は昔からゴッホの絵を見るたびに思うことがありました。 この人を後期「印象派」という名前でくくるのは適切なのだろうか、と。。 確かに2年ほどのパリ時代にゴッホは印象派の画家たちと過ごして、彼らから…
オルセー美術館(Muse d'Orsey)パリ万博に合わせて1900年に開業したオルセー駅。駅として機能したのはわずか30年ほどでした。それから約半世紀後の1986年にその駅舎は改装され、オルセー駅はオルセー美術館として生まれ変わったのでした。 フランス美術の黄金…
ゴッホを綴ったページ パリ編 cmn.hatenablog.com アルル編 cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com オーヴェル編 cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.comcmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com
子供の頃から絵を描くのが好きで、学校では図工の授業が一番好きだった。そしていつの頃からか気がつけば絵を観ることも好きになっていて、美術展があれば出かけたり、旅行先では美術館に足を運ぶ、むしろ美術館に行くために旅行するような感じ。 記憶を辿れ…
あの年の夏、僕はスイスを周りパリに入りました。あの年はスイスでもとても暑く少し歩いただけで汗が噴き出す、そんな夏でした。スイスでそんな感じなので、フランスはもっと暑い。 僕はオルセーでゴッホの作品を見てから、ゴッホ終焉の地であるオーヴェルに…
ゴッホ終焉の村、オーヴェル・シュル・オワース。 パリの北西約30km、セーヌ川に続くオワース川のほとりにこの小さな村はあります。オーヴェル・シュル・オワース(Auvers-sur-Oise)はオワース川沿いのオーヴェル村という意味。細長い形をした村から発するよ…
ゴッホがアルルで描いたひまわりは7枚。 最初はアルルの黄色い家でゴーギャンを迎えた4枚。 現在1枚は個人所蔵、1枚は焼失。残りはミュンヘンとロンドンの美術館にある。 その後3枚が描かれた。 現在1枚はアムステルダムのゴッホ美術館、1枚はフィラ…
「アルルの女」はゴッホがまだ黄色い家の前、アルルに来て最初に住まわせてもらったカフェの夫人、マリー・ジヌーを描いた作品。別名「ジヌー夫人の肖像」とも呼ばれる。 アルルの女 1888年 @オルセー美術館 とはいえ、ここに紹介するのはこの絵の話しでは…
アルルでの最初の夜、僕は暗くなった街を歩き夕食をとれる場所を探していた。ゴッホが有名な街だけにアルルにはあちらこちらにゴッホの名前を付けたレストラン、カフェ、ホテル等、"○○・ファン・ゴッホ"というのが多い。 まず目に付いたのは"レストラン・フ…
僕はゴッホの足跡を辿りたくてアルルに来たのだけど、当時南フランスとローマの関係についていろいろ調べて、アルルはそもそもローマの街だということを知った。 今では僕の中で当然のこととなっているアルルと南フランスとローマの関係だけど、当時はまだ「…
アルルでゴッホの足跡を少し辿ってみる。 アルルでの宿はかつてあった黄色い家の裏手にあたるHotel Terminus et Van Gogh。ゴッホという名前のホテルを拠点に、アルルの街をゴッホの足跡を辿ってみた。 黄色い家 黄色い家の今と昔 ゴッホは1888年2月にアルル…
僕は南フランスのアルル(Arles)に来た。 アルルはゴッホが日本の太陽を求めて、「芸術家のコロニー」を夢見て破れた場所。それがどんな場所なのかをこの目で見てみたかった。 僕は夜行列車で早朝アルルに到着して、駅から5分くらいのところにあるラマルティ…