フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂の東の扉にあるのは、1492年完成のロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti 1378-1455)による初期ルネサンスの傑作。この扉はミケランジェロによって「天国の門」と名付けられたのは前回お話しした通り。ミケランジェロはじめ、以降の芸術家にたくさんのインスピレーションを与えてきました。
*天国の門 ロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti
そして、この天国の門に強い影響を受けた作品が日本にあります。その名も「地獄の門」
*地獄の門 フランソワ-オーギュスト-ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin 1840- 1917)
このロダンによる「地獄の門」は上野の国立西洋美術館にあります。
1880年、ロダンはパリの装飾美術館の入り口の扉の制作を依頼されました。そのときダンテを熱烈に愛読していたロダンは、フィレンツェのギベルティによる「天国の門」に倣い、ダンテの「神曲」の「地獄篇」を表現しようと即決したそうです。最初は「天国の門」のようにいくつかのパネルに分かれたデザインだったようですが、構想進むにつれて、やがてパネルの境目を失い、どんどんどろどろ混沌とした地獄の様相を表すように変わっていったと言います。全体的なフォルムはフィレンツェの「天国の門」とその周辺部と同じですが、詳細は、天国の門とはかけ離れた、ロダンによるダンテ「神曲」に着想した、どろどろした「地獄の門」が完成したわけです。
現在このブロンズの「地獄の門」は世界に7つあるそうで、その一つがここ東京上野にあるというのはとても幸運なことです。
ちなみに国立西洋美術館の表庭には「地獄の門」のほかにも「考える人」「カレーの市民」といったロダンの作品がいくつかあり、これもまたとても幸運なことです。
*考える人 フランソワ-オーギュスト-ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin 1840- 1917)
*カレーの市民 フランソワ-オーギュスト-ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin 1840- 1917)
これらロダンの作品を見るたび、ル・コルビジェによる国立西洋美術館へ足を運ぶたび、日本は何て恵まれているのだろう、と幸せを噛み締めて過ごします。