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フィレンツェ3 サンジョバンニ洗礼堂

f:id:fukarinka:20220103162536j:plainサン・ジョバンニ洗礼堂(Battistero S.Giovanni)

紀元前1世紀、共和政ローマの時代にこの場所には軍神マルスの神殿が置かれていて、遠く2000年前からここはフィレンツェの中心でした。その後4世紀頃にはここに洗礼堂が置かれ、フィレンツェ人は生まれると必ずこの場所で洗礼を受けてきたと言います。

現在見られる八角形の白と黒の大理石が印象的な外観のサン・ジョバンニ洗礼堂は11世紀に完成しました。詩人ダンテは「麗しのサンジョバンニ」とこの洗礼堂を表現しています。

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印象的な外観もさることながら、もっともこの洗礼堂を有名にしているのがこの東門の扉。この扉を間近で見たい人たちが絶えません。

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サンジョバンニ洗礼堂には3つの扉があります。南扉はアンドレア・ピサーノ(Andrea Pisano 1290-1348)により完成、北と東扉はロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti 1378-1455)によるものです。

 

1401年、東扉の作者を決定するために美術史上初のコンクールが行われました。

このコンクールではともに彫刻を得意とする金銀細工職人ギベルティとブルネレスキがはげしく争った結果、ギベルティが優勝します。

フィレンツェ政府の意向でギベルティとブルネレスキ共同で門の製作をすることになったのですが、ブルネレスキがそれを拒んだために結局東扉はギベルティの作品となりました。

1424年に完成したギベルティの扉の質の高さから、もう一つの北扉もギベルティが制作することになります。

北におかれるはずの扉は1429年に制作が始まり1452年に完成しました。ミケランジェロから「天国の門」と賞賛され名付けられたこの扉は、完成当時からたくさんの人々を驚かせ、設置される場所も北側から東側に変更されたのでした(先に完成していたギベルティの東扉は北側にうつされた)。ちなみにミケランジェロは、後に制作するシスティーナ礼拝堂の天井画「天地創造」を描くときに、この「天国の門」のギベルティの表現を参考にしたと言います。

 

ミケランジェロに代表される同時代人にも、現代の人も多く惹きつける「天国の門」。

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天国の門は金箔で覆われた10枚のブロンズパネルで構成され、それぞれには旧約聖書の創世記のエピソードが描かれています。「アダムとイブ」「アブラハムの物語」「ノアの方舟」「モーゼの十戒」「ゴリアテを倒すダビデ」。。

そして、この天国の門のこれらレリーフの中にはとても控えめにロレンツォ・ギベルティ本人と息子、同時代の芸術家の像が彫り込まれています。

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1990年代には環境汚染による影響で、酸性雨による天国の門への被害が深刻化。本物は修復作業が行われ、現在はドゥオモ付属博物館に収蔵されています。現在の「天国の門」はレプリカです。

 

さて、洗礼堂の扉のコンクールで敗れたブルネレスキは直後にローマへ。その後彫刻をあきらめ建築家として身を極めました。そして20年後サンタ・マリア・デル・フィオーレのクーポラの設計コンクールでギベルティを抑え勝利し、実際にクーポラを建設して天国の門の雪辱を果たします。

次回はそのフィレンツェのクーポラを戴くドゥオモのお話を。

 

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