1893年にモネは花の庭に面した道路の向こう側の土地を買い足し、元々そこにあった小さな池を拡大して新たな庭を作ることにしました。「水の庭」です。
水の庭にもモネは様々な草花を植えていった。中でも水に浮かぶ睡蓮はモネの創作意欲を生涯刺激し続けることとなったのでした。
花の庭から短い地下道を抜けて、水の庭へ。
そこにはちょうど良いサイズの見たことのない、でも見慣れた景色が広がっていました。
水面に映る空や草木、それをさえぎる睡蓮。そして刻々と変わる太陽の光や風にそって、感じる色も変化していくんです。実際にここで池を眺めていると、モネがなぜ睡蓮の連作を死の間際まで描き続けたのかが少しだけわかる気がします。この池にはいたるところにモネのモチーフが散らばっている。僕が過ごしたわずかな時間だけでも、この睡蓮の池はとても多彩な表情を見せてくれました。
*国立西洋美術館の睡蓮
*オランジェリー美術館の睡蓮
*オランジェリー美術館の睡蓮
モネは日本文化に大変興味を持っていました。そしてモネの家で見られる多くの浮世絵のコレクションはモネや印象派に大きな影響を及ぼします。自然をモチーフに、自然の色を明るく鮮やかに捉えた浮世絵がモネに影響を与えました。そして、浮世絵に登場する、フランスでは珍しい日本の草木(ユリやシャクヤク、桜や椿など)を取り寄せ水の庭園にも植えています。
そしてモネは日本の本物を想像膨らませながら「日本風の橋(太鼓橋)」を池にかけました。
この「日本の橋」はモネが好んで描いたモチーフ。
*オルセー美術館の日本の橋
*オランジェリー美術館の日本の橋(晩年の作品)
*マルモッタン美術館の日本の橋(晩年の作品)
モネは晩年視力が衰えても、まだその目に届く光を捉えて絵を描き続けました。モネの晩年の作品は一見何を描いているかわからないものが多いのだけど、ジベルニーの風景や睡蓮の池の様子を思い浮かべながら、一つ一つの絵をみていくとモネの老いてなお抱き続けた「描く喜び」とか「光のうつろいを極めたい気持ち」みたいなものと一緒に僕の感性にダイレクトに響いてくるような、そんな感覚になるのです。
モネはここに移り住んでからなくなるまでの43年間をここ、ジベルニーで過ごしました。
そして生涯自ら作り上げた庭を描き続け、晩年視力が衰えてもなお自分の庭の光りや彩りを描き続けました。
ここジベルニーのモネの家とその庭は、モネの感性を刺激し続けた「光」や「空気」と一緒にモネの魂も感じ取ることができる(かもしれない)、そんな場所です。