ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)
9世紀ころに外敵からヴェネツィアを守る城塞として、また総督「ドージェ」の邸宅として建てられたのがこのドゥカーレ宮殿の始まり。やがて行政、立法、司法の機能を併せ持つヴェネツィア共和国の中枢として、歴代ドージェによって進化していきます。
12世紀:ドージェ・ツィアーニが要塞として拡張。ほぼ現在の規模に
14世紀:ドージェ・グラデニーゴが会議場と公文書局を併せ持った宮殿へ
15世紀:ドージェ・ステーノが海側にゴシックの大窓を設け、また海側と小広場側の様式を統一。という具合に。
現在見られる宮殿の姿になったのは1457年。共和国の経済力の増大に伴い拡大改築を重ね、共和国政府の中枢に相応しい、ヴェネツィア・ゴシックの傑作と言われる建物となったのでした。
*紙の時代のドゥカーレ宮殿のチケット
一方で、内部はヴェネツィア共和国の力を誇示するために「各国大使に対する威圧」を目的とした重厚な装飾で覆い尽くされ、全体的に暗く重苦しい雰囲気が漂っています。
そしてドゥカーレ宮殿内部の最大の特徴は「油絵の洪水」。
政治にまつわるいくつもの部屋があります。十人委員会の間、元老院の間、謁見の間、羅針盤の部屋、緋色の部屋、盾の部屋、地図の部屋・・そこには壁や天井に所狭しと絵画に埋め尽くされています。それらはヴェロネーゼ(Paolo Veronese)、ティントレット(Tintoretto)、ティツィアーノ(Tiziano Vecellio)、といったヴェネツィア派の画家達が描き込んだ絵がスペースを奪い合うように存在するのです。
その究極の部屋がここ「大評議会の間」
宮殿最大の部屋。正面には1588-1590にティントレットが描いた世界最大(7 x 24m)の油絵「天国」。そのほか床以外のとほとんどが無数の油絵で埋め尽くされています。
「ドージェ」は大評議会によってヴェネツィアの名家から選ばれる終身職。共和制をしいたヴェネツィアでは権力集中と独裁を防ぐために様々な制約をドージェに課したと言います。ドージェはこの部屋で選出され、ヴェネツィアの統治を取り仕切り、全うするとドゥカーレ宮殿内に肖像画が掲げられます。ヴェネツィアが存在する限り「アドリア海の女王、ヴェネツィア共和国のドージェ」として永遠にその名前と姿が残るのです。