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ヴェネツィア12 海の足〜ゴンドラ

f:id:fukarinka:20210717192410j:plainヴェネツィアは海の都で主要な交通手段は船。運河や海には大小数えきれないほどの船が行き交います。そんな街の旅の友(移動手段)も、地下鉄でもバスでもトラムでもタクシーでも自転車でもない、船なのです。

 

ゴンドラ(Gondola)

古くからヴェネツィア人の重要な足として活躍してきたゴンドラ。記録に登場するのは11世紀ころ。900年以上の歴史の中で進化を遂げて、ゴンドラはヴェネツィアの潟を、狭い運河をいくためにとても合理的なフォルムになりました。ヴェネツィア共和国の最盛期には1万ものゴンドラが活躍していたそうですが、今では数百のゴンドラが観光客のために行き交うのみ。

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ゴンドラデザイン史

ゴンドラは最初、ガレー船(櫂がいくつもあるような古代船)のように十二人の漕ぎ手を乗せたごつい形をしていたそうですが、その後ヴェネツィアという環境に合うように細長く、船底は浅く平らにそしてエレガントに変化していきました。15世紀にはほぼ現在に近くなってきたのだけど、まだ舳先の櫛飾りはまだありません。16世紀ヴェネツィア共和国の最盛期になると貴族が豪華さを競います。船体を好みの色に塗り、ビロードやペルシャ絨毯で覆い、贅沢な船室をつけ、とやりたい放題。中には黄金に塗りたてられたものまで登場。。無秩序な状態でした。貴族の節度のない豪華競争に業を煮やしたヴェネツィア政府は「贅沢取締委員会」を発足して「ゴンドラは黒」としました。ただ海の男でもある貴族、船乗りたちは頑固でなかなか従わなかった。またヴェネツィアにいた外国人は治外法権だとして従わず。委員会発足後も全てのゴンドラが黒くなるまでには相当の時間を要したといいます。

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その後、トルコとの長い争いとで経済も衰退していくと、更に贅沢は敵となり、黒い船体に加えゴンドラに使用するのは「黒いラシャ」のみと定められデザインは質素に統一されていきます。そして18世紀、船体はピアノのような光沢のある黒になり、船のフォルムも細くしなやかになり、結果的に現在のような全く無駄のない美しい姿が完成したのでした。

ヴェネツィア共和国政府の倹約の精神がゴンドラの姿を磨き上げたということになります。

 

ゴンドリエレ(Gondolier)

ゴンドリエレ(ゴンドラこぎ)たちの技も見事でどんな狭い運河でもすいすい進んでいきます。ゴンドリエレになるには難しい実技及び筆記試験をパスしなければならないのですが、それ以前にヴェネツィア人でないと、さらにゴンドリエレの家系でないと試験を受けることすらできないとか。。

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ゴンドラ工房

ゴンドラはよく見ると左右対象の形ではありません。ゴンドリエレが操舵する左側が若干広く、その状態でバランスが取れるように設計されています。研ぎ澄まされたようなフォルムのゴンドラにはほとんど装飾らしいものはないのですが、舳先の櫛飾りと船尾のほんのちょっとだけ飾りが、控えめについています。その控えめさが余計にゴンドラの容姿を引き締めています。

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ヴァポレットでヴェネツィア徘徊中に偶然、ゴンドラ工房を発見。中では職人が一人でゴンドラを制作していました。あとでまた来ようと思っていたのですが、2度と戻れませんでした。

 

ヴェネツィアの風景としても欠かせないゴンドラは、長い時間をかけてその姿を研ぎ澄ましてきました。でも、僕がヴェネツィアを訪れた時のゴンドラはすっかり観光化してしまい、ヴェネツィアのゴンドラではなく観光客のゴンドラとなってしまったようで、目の前をいくゴンドラから聞こえてくる歌声は、結構アメリカ音楽だったりするのです。。。ゴンドリエレのみなさん、どうかヴェネツィアのゴンドラを守ってください。。。

 

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