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旅行の記憶と何気ない日常を

フィレンツェ9 ヴェッキオ橋

f:id:fukarinka:20220115175610j:plainヴェッキオ橋 (Ponte Vecchio)

フィレンツェ最古の橋。

そのルーツは古代ローマ時代にさかのぼり、当時からアルノ川のこの場所には橋が存在していたと言います。その後ローマが衰退した後も、長い間ローマの石の橋脚に木を渡し、簡略な橋がかけられていました。しかし橋は洪水によって破壊・再建が繰り返されていたため、1345年、アルノルフォ・ディ・カンビオがフィレンツェの街を再興したとき、ここにかかっていた木造の橋を古代ローマの橋に倣って石造りに架け替えたのが今に至るヴェッキオ橋の始まりです。以来600年以上の間この場所にあるヴェッキオ橋は、橋の両側に店舗が並ぶ、めずらしくも趣のあるルネサンスの貴重な遺産です。

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橋は何度か姿を変えてはいるものの、かれこれ2000年もの間、人々はここを通りアルノ川を行き来してきたことになる。

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近世の大きな戦争でフィレンツェは何度となく戦場となりました。

第2次世界大戦でドイツ軍はアルノ川にかかる六つの橋のうち五つの橋を落としたのだけど、このヴェッキオ橋だけは歴史的な貴重さから攻撃しなかったと言います。

何もかも破壊してしまいそうな戦争の中、このヴェッキオ橋はじめルネサンスの建築群をその戦火は避けて通った。敵味方双方の軍がルネサンスの遺産に弾丸を撃ち込むのをためらったためだとか。

同じヨーロッパ人同士の戦争で、その価値を理解していたためなのか、戦争にもルールがあることが理解できない僕にはよくわからないが、とにかくおろかな争いから、ルネサンスの遺産は守られた。おろかな戦争で破壊されてきた多くの遺産があるなか、フィレンツェの街がこれほど見事に残っていることは奇跡といえる。

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ヴェッキオ橋を歩いてみると、橋の両脇に店が並ぶせいもあって、「橋を渡る」という気がしません。フィレンツェのたくさんの路地のひとつを通って、気づいたら川の向こうに来ていた、という感じ。

今では宝飾店の並び高級感漂う橋の上ですが、橋の完成から200年の間ヴェッキオ橋の上は「肉屋」が占めていました。羊や鶏、ウサギなどを、そこで解体し販売していたので不要な部分はそのままアルノ川に捨てられていたというから、当時のヴェッキオ橋とアルノ川はグロテスクな雰囲気と異臭が漂っていたことでしょう。

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そのヴェッキオ橋の風景が一変したのは17世紀。

1593年、トスカーナ大公となったメディチ家の私邸であるピッティ宮と公邸であるヴェッキオ宮を結ぶ回廊(ヴァザーリの回廊)が出来たとき、それまで肉屋が占めていた橋の上は金銀細工の店に入れ替わりました。ヴェッキオ橋の2階部分に付け加えられたヴァザーリの回廊を大公が通るときに見える橋の風景が、血染めの動物の四肢がころがる橋では困るということだったのでしょう。

 

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近くで見るとごちゃごちゃしているのだけど、アルノ川に姿を映しながら静かにたたずむヴェッキオ橋を、ちょっと離れて眺めるのが僕はとても好きなのです。そこは人であふれるフィレンツェにあって、とてもゆったり落ち着ける空間なので。。。

 

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