オルヴィエトのドゥオモ(Duomo di Orvieto; Cattedrale di Santa Maria Assunta)。Santa Mariaの名前にあるように、フランスで言えばノートルダム(Notre-dame)=聖母マリアを讃える聖堂です。
建立のきっかけは1263年に起きた「ボルセーナの奇跡」でした。ローマ巡礼の途中、オルヴィエト近くボルセーナ湖畔の街に立ち寄った神父はミサで行われる聖体拝領で授けられるパンとワインが実際にキリストの血と肉に変わる「聖体変化」に疑いを持っていました。
ボルセーナの聖体拝領で授かったパンを二つに割ると、血が滴り落ち聖体布を赤く染めた。これがボルセーナの奇跡。
この時の「奇跡の聖体布」を保管するために建立されたのが、このオルヴィエトのドゥオモなのです。
サンタ・マリア・デルフィオーレを初めフィレンツの街を設計したアルノルフォ・ディ・カンビオによる設計で1290年着工しました。以来300年に渡って建設が続きます。時代ごとに建築家も変わり、最初ロマネスク様式のバシリカとして始まった建築様式は徐々にゴシックへと変化、最後はシエナのドゥオモと同じシエナ・ゴシック様式になりました。
オルヴィエトのドゥオモはイタリア・ゴシックの傑作と言われます。
シエナ大聖堂(ジョヴァンニ・ピサーノ1287-1297)のシエナ・ゴシック様式やサンタ・マリア・デル・フィオーレ(アルノルフォ・ディ・カンビオ1294-1302)のファサードプランから影響を受けており、先行する他の聖堂のよいところを参考に作れたファサードはその建築家のセンスによって均整の取れた素晴らしいものとなっています。
旧約聖書、新約聖書を題材にした彫刻やモザイク画に覆われた姿はとても荘厳で、モザイク画はオリジナルは14世紀に作られたがその後数百年に渡り何度も書き換えられてきたと言います。現在ファサードを飾るのは聖母マリアの誕生から戴冠までの生涯の物語。
午後、モザイク画に陽があたるようになると聖堂が一層華やかに輝きます。その荘厳な姿をさらに強く神々しく輝かせる。そんな姿はキリスト教徒ではない僕も心洗われた気持ちになります。
身廊はロマネスク様式のバシリカ式。円柱や壁は玄武岩とトラバーチンで白と深緑の縞模様となっていて、ウンブリア〜トスカーナの聖堂の特徴となっています。
奥の礼拝堂のあたりはゴシック様式になっているのがわかりますね。
内部のステンドグラス。今まで見てきたものとは異なる特徴的なもの。
上部は各地の教会でよく見られるような色ガラスで聖書物語を描いている。下半分は大理石のような模様をしたガラスがはめ込まれている。これはなんだったのか・・・
内部にはフレスコ画も多数残されていて、荘厳な外観、中部イタリア特有の内部に加えステンドグラスとフレスコ画と美術的価値も相当なものです。
ドゥオモ前広場は大きな模様が描かれている。
他の街のドゥオモに負けず劣らず三百年もの歳月をかけて完成されたオルヴィエトのドゥオモは同時代のフィレンツェやシエナの影響を受けながら、至高の領域まで高められました。
小さな街だけど、遠くからこの丘の上に聳えるドゥオモはよく見えただろうし、午後、特に夕方の陽があたってモザイクが輝き、大理石を朱に染めた姿は時代を超えて人々の心を洗い流してきただろう。そしてこれからもこの小さな街の至高の聖堂は存在しつづけるんだろうな。