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旅行の記憶と何気ない日常を

小話 もう一つの5月4日 

今日5月4日はオードリーヘプバーンの誕生日。

1929年5月4日にベルギーのブリュッセルで生まれたオードリーは子供の頃に第二次世界大戦で凄惨な戦争体験をしています。ナチスドイツに街が占領され、地下に隠れて殺戮の恐怖と飢えと戦い、目の前で友達がなくなっていくのを目の当たりにしたこと、その時救われたユニセフの支援をオードリーは生涯忘れることはなかったといいます。

一部権力者の欲の暴走によって起こる戦争からは破壊しか生まれない。そして権力者の欲などとは何の関係もない一般の人々から、ただその国にいたというだけで、たくさんのものを奪う。コツコツと築き上げてきた財産や平穏な生活と、大切な人の命までも。戦争で犠牲になるのはいつの時代も、どこの地域でも弱い立場の者、そして子供たち。そのことを身をもって体験していたオードリーは晩年ユニセフの親善大使として活動したことを「天命」だと語っていました。

「ハリウッドでの名声によって、自分が動けば世間の目が集まる。悲惨な思いをしている人たちに世界の目を向けることができる」不幸な子供たちを助けることが自分の人生の役割であり、今までの映画俳優としての人生はそのためのリハーサルだった。と。

ユニセフの親善大使として活動していた当時、自身はがんに冒されながら、アフリカなどたくさんの国の難民キャンプに赴きます。もともと細身だった体が、がんに冒され更に痩せ細った状態で子供たちを抱いて癒す姿が世界中のメディアに流れ、世界の目が不幸な子供たちに注がれた。

ユニセフの親善大使時代の演説でオードリーはこう世界に訴えました。

「子どもたちに予防接種をしたり、食べ物と水を与えたりするだけでは充分ではありません。必要なのは、人の破壊衝動という病、それは私たちが大切にしているもの、生命を維持するためのものすべて、呼吸する空気、生命を維持している地球、そして何より大切な子どもたちまでをも破壊してしまおうとする衝動)を癒すことです。

平和の樹立こそが、すべての解決策です」

僕は我に帰る。

人の破壊衝動を滅殺するのではなく、癒すのだと。結局、破壊衝動は人間の本質にあってそれを無くすことはできない。破壊衝動に力でねじ伏せようとすればもっと激しい破壊が始まる。だから癒しをもってその衝動を癒しなだめて表に出てくるのを抑えようという考え方。

 

オードリーはその後間もなく1993年1月20日にトロシュナ村の自宅で63年の人生の幕を閉じることになりました。

 

オードリーがもし今生きていたら、ウクライナの惨状をどう思うだろうか?そしてどう行動しただろう?世界がなかなか決定的な動きをとれない現状で、きっとオードリーにしかできない独自の行動を起こしたでしょう。

一人息子であるショーンさんの言葉によると「母を例えるならば、ビロードに包まれた鉄剣のような人」とのこと。表面上はとても優しく柔らかく滑らかでエレガントなのだけど、その中心には鉄剣のように固く強い意志がある。

尊敬してやまない。

 

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