現在サンタンジェロ城(イタリア語:Castel Sant'Angelo)と呼ばれるこの建物はもともとローマ帝国の五賢帝の一人ハドリアヌス帝の霊廟 (ラテン語:Mausoleum Hadriani)でした。
皇帝ハドリアヌスが自分自身とその後に続く皇帝たちのための霊廟として、135年に着工し、ハドリアヌスが亡くなった1年後の139年に、後継者である皇帝アントニヌス・ピウスによって完成。その後ここにはハドリアヌス自身と後代の皇帝たちとその親類が埋葬されています。ここにはハドリアヌス帝の他、ハドリアヌスの妻サビーナ、皇帝アントニヌス・ピウス夫妻、マルクス・アウレリウス帝、コンモドゥス帝、セプティミウス・セヴェルス帝、カラカラ浴場のカラカラ帝など。。。
◾️ハドリアヌス霊廟
今は砲台を置く場所が整備された砦として歪な形になって残っていますが、ハドリアヌス霊廟としての完成当時の姿は一辺90mの綺麗な正方形の基壇とその上の円筒状の建物で構成されていました。外壁はトラバーチンで覆われた真っ白で美しい建物で、上には糸杉が植えられ、その中央には、小さな神殿のような建物、さらにその上に4頭立て馬車を操るハドリアヌス帝のブロンズ像が置かれていたと言います。
もとは白亜の建物に糸杉が植えられたとても優雅な外観だったのですが、5世紀になってローマの防衛の要衝として城壁に組み込まれ、砲台が付き、この時に墓としての装飾や遺物などが持ち去られてしまいます。6世紀初頭にゴート族の侵略を受けた時には「神聖な皇帝霊廟」という役割は完全に失われてしまったのでした。
◾️聖なる天使(Sant'Angelo)へ
6世紀末にゴート族が侵略が終わったあと、おそらくゴート族が持ってきたと思われる疫病(ペスト≒黒死病)がローマを襲います。ゴート族による破壊の後に多くの人々が疫病に倒れ、大打撃を受けたローマでひとつの奇跡が起こります。疫病が猛威を振るっている最中、ハドリアヌス霊廟の頂上に大天使ミカエルが降り立った。そしてその剣を鞘に収めるとペストがみるみる収束していった、と。このペストからローマを救った大天使ミカエルの伝説によって、ハドリアヌス霊廟は「サンタンジェロ(聖天使)城」と呼ばれるようになったと言います。
それ以来、このハドリアヌス霊廟の上には天使の礼拝堂が建てられ、かつてあった4頭立て馬車を駆るハドリアヌスの像は、大天使ミカエルの像に置き換わり、今に至ります。
◾️サンタンジェロ橋の天使
サンタンジェロに向かってかかる橋はもともと134年にハドリアヌス帝によってかけられアエリウス橋と呼ばれる古代ローマのハドリアヌス霊廟へつながる橋でした。ハドリアヌス霊廟がサンタンジェロと名前を変えるのに合わせて、サンタンジェロ橋と呼ばれるようになり、その後1667年に教皇の座についたクレメンス9世は、サンタンジェロ橋(ponte Sant'Angelo)に「受難の道具を手にした10体の天使の彫像」を飾るようベルニーニに依頼します。この10体の天使がサンタンジェロ橋に並び、以来ここはその姿をほぼ留めています。
白亜の建物と糸杉に囲まれた美しいハドリアヌス霊廟は、その役割の変化とともにいかつい姿に変貌していった。そしてルネサンスを迎え、大天使ミカエルに加え橋の両側にはベルニーニによる天使たちに囲まれる優しい空間へと変わっていきました。貴から剛へ、そして祝福の空間へ。
テヴェレ川の対岸からサンランジェロに向かって歩いていくと、頂上に立つ大天使ミカエルの像を正面にその両側の10の天使たちがその歩みを祝福してくれるかのような空間です。