cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

クィリナーレ宮殿

トレヴィの泉から歩いて5分くらい、上り坂を登ったその先の小高い丘の上に閑散とした広場と宮殿建築が現れます。エジプトのオベリスクの立つこの場所は「クィリナーレ広場(Piazza del Quirinale)」と言い、左の建物は「クィリナーレ宮殿(Palazzo del Quirinale)」です。ここはローマの7つの丘のうち、古代ローマ建国の頃から重要な場所であった「クィリナーレの丘」です。

元々ここにはキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世が建てた公衆浴場がありました。ここが今のような姿となったのは16世紀、1583年に教皇グレゴリウス13世の夏の宮殿として四人の建築家によってこの宮殿は建てられました。広場中央にあるオベリスクは、アウグストゥスの霊廟に建てられたという2本のオベリスクのうちの一つ。エジプトにあったものをローマに運んだのではなく、エジプトの石材をローマに運び、ローマでオベリスクに加工したものだそうです。

以来、この宮殿はローマ教皇庁として使用され、過去4度のコンクラーヴェ(新教皇選挙)が行われた場所でもあります。1871年からはイタリア王国の宮殿として使用され、1947年から今に至るまでイタリア大統領府として使用されています。

 

トレヴィの泉から距離にして400mくらい?こんな近くにあるイタリア大統領府なのですが、トレヴィの泉が観光客で溢れかえっている時間帯であっても、いつ行っても観光客もまばらで活気がありません。

一番上の写真は夜の姿、真ん中は早朝、共に観光客が少ない時間でありひと気がないのも仕方ない。ところがこの下の写真は真昼間ですが、朝と夜とそれほど変わらないくらい人が少ない。大観光地ローマにあってトレヴィの泉とは対照的な場所です。

ここクィリナーレの丘は、古代ローマ誕生直後に起きた王政ローマ黎明期を象徴する出来事の舞台。建国したばかりのローマの男たちが、この丘に住んでいたサビニ族の娘たちを嫁にするために騙して拉致した事件(サビニの女たちの略奪)とその後サビニの男たちが娘たちを奪い返すためにローマに攻め入った事件(サビニの女たちの仲裁)の舞台。情けないローマ男たちの蛮行をサビニの娘たちが受け入れ、さらにローマとサビニ族の間を命懸けで取り持ったという出来事。最初期のローマが発展拡大するきっかけとなった史実とはいうものの、ちょっと首を傾げたくなる話ではある。古代ローマにとって、その黎明期に起きたとても重要な出来事として記録され、後世にダヴィッドなどの画家たちが絵画としてその場面を描いています(下の記事参照)。

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建国当時のローマとサビニ人とのややこしくも単純な史実を知ると、ちょっと寂しい感じの静かなこの場所が、ざわざわと騒々しく思えてくるから不思議です。

 

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