cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

スペイン広場

コンドッティ通りを進むとその突き当たりに、競り上がる丘の斜面に面したちょっとした空間が広がります。宮殿のような階段と椰子の木(?)の姿は南国の雰囲気を醸します。ここ、スペイン広場(Piazza di Spagna)に入ると、まずベルニーニの船の噴水が迎えてくれます。夏のローマは猛烈に暑いので噴水の水でのどを潤わせ一息ついてから、スペイン階段を登り、丘の上のトリニタ・デイ・モンティ教会を目指します。

スペイン広場が今の姿になったのは18世紀になってから。正面のトリニタ・デイ・モンティ教会(Trinità del Monte)ができたのは16世紀、ベルニーニの「船の噴水」は17世紀、階段が完成したのは18世紀のことでした。

 

この「スペイン階段」や「スペイン広場」はスペインと名前が付いていルのだけど、実はフランス人たちが作ったものです。それ以前、ここは丘の上の教会にちなんで「トリニタ・デイ・モンティ広場」と呼ばれていたそうです。「フランス人が作ったスペイン広場」はちょっと複雑です。

フランス人が作ったこの空間が、なぜ「スペイン広場」と呼ばれるようになったのかというと、1622年に「スペイン宮殿」が建って以降ここにスペイン大使館が置かれたことでスペイン広場と言われるようになったとか。

 

 

トリニタ・デイ・モンティ教会はフランス系のカトリック教会として1493年にシャルル8世によって建てられました。フランス枢機卿の資金によりフランスの石材が使われ、ゴシック様式の教会として建てられた、というので今とは全然違う姿だったのかもしれません。その後1527年のローマ略奪の被害を経て、1570年に現在見られるような二つの鐘楼を持つ特徴的な姿となりました。今でも内部は建設当初のゴシック様式が残されている一方で、表には特徴のあるファサードを持つ珍しい教会となっています。

この教会のファサードは二つの時計を持っています。正面左の時計はローマの時間、右の日時計はパリの時間を示しています。

このオベリスクは1788年にここに建てられてもので、ローマ帝国の時代にローマ人がエジプトのオベリスクを模して作ったものらしい。

 

スペイン階段ができたのは1725年、これまたフランスの資金援助のもと136段のバロックの階段が誕生します。このガーデンテラス風に装飾されたデザインに至るまではかなりの年数の試行錯誤があったそうです。

スペイン広場が今のような姿になって以降、ここはポポロ広場のポポロ門からローマに入る旅人たちや王侯貴族のための宿やホテルが立ち並ぶようになり、それに呼応するようにさまざまな商店もできたでしょう。長旅の末にローマに入って一息つけるちょうど良い場所、このスペイン広場はそんな位置でした。スペイン広場はとても賑わう場所となります。

王侯貴族がここに滞在したことで、高位の人々への高級なホテルや店がたくさん連ねていた。現在のコンドッティ通りはその名残りかもしれません。

 

 

 

そしてもうひとつ。

ここは映画「ローマの休日」でおなじみの場所。

オードリー・ヘプバーンジェラートをほおばりながら、グレゴリー・ペックとこれからのローマでの遊びの計画を立てるシーン。80年前の映画だけど、この階段もトリニタ・デイ・モンティ教会も当時も今も全く変わらず、目に映る景色はあのシーンそのもの。

ローマの歴史は2000年以上、80年なんて時間はほんの一瞬ということであることを改めて感じます。

 

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