「Arc de triomphe de l'Étoile」がこの凱旋門の正式名称です。
パリには4つの凱旋門があります。古い順にサンドニ門、サンマルタン門、カルーセルの凱旋門、そして一番新しく一番有名で、一番巨大な凱旋門がこのエトワールの凱旋門。
シャルルドゴール広場と呼ばれるここはもともと、エトワール広場と呼ばれていました。エトワール(Étoile)は「星」のことで、この凱旋門を中心にした円形の広場には星をかたどったような模様があることと、さらに放射状に12本の通りが凱旋門を源に伸びている様子が凱旋門が光を放っているように見えることからエトワール(Étoile)と呼ばれていました。
シャンゼリゼの終わり、広場の端から凱旋門のある中心部まではとても幅の広い車道が横たわり、巨大なラウンドアバウトとして凱旋門を取り巻いている。昼間はたくさんの車や観光バスがぐるぐる回って信号も横断歩道もない。初めてここに来た時はどうやって凱旋門に行ったらよいのかわからず、車の往来の激しい車道を強行突破したのを覚えています。
普通は地下道で行くのですが、たまに僕と同じく強行突破をする人がいますね。
古代ローマを標榜するナポレオンが、フランス軍の栄光をたたえるために作らせたのはルーブルとチュイルリー庭園の境にあるカルーセルの凱旋門。今でもローマにあるコンスタンティヌス帝の凱旋門をモデルにしたもので、古代ローマ風でとてもよいのだけど、ナポレオンにとってはちょっと小ぶりのその大きさには満足できなかった。そこで、ナポレオンはシャンゼリゼの反対の端のこの場所に巨大な凱旋門を建設することを命じたのでした。
この凱旋門は 1806年に着工し、30年をかけて作られました。
ナポレオンはローマ帝国を意識した街づくりを目指していましたが、この凱旋門は単なるローマの模倣ではなく、その大きさもデザインも「フランス風」が織り込まれた。いま世の中で凱旋門といえば、ほとんどの人がこの凱旋門の姿を思い浮かべる。
フランスを象徴する建築モニュメントとなっているように思います。
凱旋門の中央には第1次世界大戦の無名戦士の墓があります。
ここには巨大で豪華な凱旋門とは対照的に、小さく静かに厳かに「不滅の火」がともり続け、花が絶えません。
この日、大きな凱旋門に、大きなフランス国旗が掲げられた。
夕暮れ時の傾いた日に照らされたトリコロールはなんとも優雅に翻っていました。
トリコロールの3色は「Liberté, Égalité, Fraternité(自由、平等、友愛)」を表しています。
エトワールの凱旋門からは、シャンゼリゼの延長線上さらに4km先、パリの新凱旋門グランダルシュ(Grand Arch)が望めます。グランダルシュはフランス革命200周年を記念して建てられた近代(凱旋)門。このシャンゼリゼの直線上にある3つの凱旋門はこのトリコロールのひとつひとつを表していると言います。
あのあたりはラ・デファンスと呼ばれるパリのいわゆる「新都心」です。
僕はまだ行ったことがない。
「凱旋門」とはもともと、古代ローマの皇帝が大きな戦いに勝ったときに建てた戦勝記念の門を指します。本家ローマの凱旋門はパリの凱旋門にくらべもっとこじんまりしている。
ナポレオンの戦功がいかほどのものかはわからない。
ローマ帝国にあこがれて建てられた、この巨大な凱旋門には建物として洗練されたエレガントな雰囲気があり、古代ローマの本家凱旋門とはちがったパリの魅力がつまってると思う。
幼稚園のころだろうか、世界の街を描いた絵本が家にあってそのときのパリの絵は今でもはっきり覚えてる。どんよりした曇り空に、これまた灰色の凱旋門の絵。パリ、シャンゼリゼ、凱旋門、これらはこのころから僕の頭に刻み込まれた。なのでパリの凱旋門は、僕の中で子供のころから「パリの象徴」であり「フランス」であり「ヨーロッパ」であったように思える。
凱旋門を眺めながらシャンゼリゼを歩くとなんだか、「パリっていいな」と不思議とホンわかする。
大好きなモンマルトルやシテ島の「古きよき」とは一味ちがった、僕にとっての子供の頃からのパリの空気、それがここでは感じられるのです。