cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小話 ハドリアヌス帝のコイン

f:id:fukarinka:20210213182759j:plain新たにローマのコインを手に入れました。といってもレプリカ(よくできた偽物)です。2000年前の本物も欲しいけど、触って観察して眺めて、多少乱雑にあつかっても気にする必要もないところがレプリカのいいところ。

このコインはハドリアヌス帝を象ったデュポンディウス(Dupondius)硬貨(のレプリカ)。

f:id:fukarinka:20210306172407j:plain

「デュポンディウス」はラテン語で「2ポンド」の意味。当時の硬貨としてはアウレス(金貨)、デナリウス(銀貨)、セステルティウス(青銅貨)、の次に位置するもので、帝政初期は1デュポンディウスで買えるのはパン2つ、または安いワイン1Lだったそうです。

貨幣価値としてはパン二つですが、共和政ローマから帝政ローマにかけて、ローマが一番多くの有能な人材を輩出したころに作られたものが多いので、いわゆる有名人が登場する、かつ手に入れやすいというのがこのデュポンディウス硬貨のいいところかもしれません(これはレプリカです)。

 

さてハドリアヌス帝について。

紀元117年から138年に在位した第14代ローマ皇帝

ローマ世界(≒ヨーロッパ)がもっとも平和だったと言われる時代(96年から180年の間)、それを実現した有能な五人の皇帝、いわゆる「五賢帝」の一人にあたります。

五賢帝とはネルヴァ、トラヤヌス、「ハドリアヌス」、アントニヌス・ピウスマルクスアウレリウスのことで、賢帝の世紀の真ん中にハドリアヌスがいます。

ハドリアヌス帝は20年ちょっとの治世の半分以上に当たる約12年間を首都ローマではなく帝国領土内を隅から隅まで各地の視察とインフラの修復・再建事業に費やしたという、ほかの皇帝たちとは違うスタイルの皇帝でした。皇帝の重要な責務である「安全保障」や「帝国内のインフラの整備」のためにハドリアヌスは現地を自分の目で見て徹底的に行ったのでした。数年ずつ2回、1年間を1回と合計3度の視察行には建築家、技術者を同行させて、さまざまなインフラや施設の修復や再建を精力的に行ないました。

ハドリアヌスの仕事の特徴のひとつは「自分の名前を残さない」こと。象徴的な例としてローマのパンテオンがあります。もともとパンテオンは紀元前27年に建てられました。当時初代皇帝アウグストゥスの右腕として、軍事とインフラ整備に活躍したアグリッパという人物によって今とは全然違う形で建設されます。ハドリアヌスは荒れてしまったパンテオンを当時の技術の粋を集めて全く違う現在まで残る設計で再建しました。紀元後125年ころ完成し2000年後の現代までその斬新な姿を維持しているパンテオンファサードにはハドリアヌスではなく「アグリッパが建てた」と大きく刻まれています。ハドリアヌス自身設計にもかなり関わっていたと言いますが、パンテオンだけでなくハドリアヌスのほとんどの仕事にはハドリアヌスの自信の名前は記さずに、先人に敬意を払い先人の名前を刻み残しました。ローマ帝国の皇帝なのだけど日本の宮大工的な心意気を感じます。

f:id:fukarinka:20210306194249j:plain

他にハドリアヌスが手がけたもので、その名前がわかるものといえば、イギリスの北部に残る「ハドリアヌスの防壁」とローマの近郊に建てた自身の別荘「ヴィア・アドリアーナ」くらい。ハドリアヌスにとって自分の名前を建物に刻むことはさしたる意味はなかったのでしょう。

 

ハドリアヌスと同時代の人々は、快適な首都ローマでの生活を犠牲にして帝国の辺境まで隅々までを視察して回ったハドリアヌスを見て、「皇帝にはなりたくないもんだ」とぼやいたそうだけど、ハドリアヌス自身はローマで退屈な政治に明け暮れるより、いろいろな場所でいろいろなものを見ることや国のために建物やインフラの修復や再建に建築家として深く関わる時間は、きっと楽しくて仕方なかったんじゃないかと思う。そのことは視察に回った各地を再現したと言われるヴィラ・アドリアーナが証明しているような気がします。

 

壮大な旅行をしながら建築に深く、でも控えめに関わった謙虚な皇帝。僕はこの感性豊かなハドリアヌスという人物に共感し惹かれるのです。

そんなこともあってこのコインを見つけた時は、レプリカであっても迷わず買ってしまいました。

 

cmn.hatenablog.com
cmn.hatenablog.com