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旅行の記憶と何気ない日常を

シャモニ5 魔の山登頂史

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登山の対象としてのモンブラン(Mont-blanc 4807m)は、エギュイーユ・デュ・ミディを起点に標高差1000mほどの登山行で登頂可能であり、そのスジでは比較的難易度の高くない山とされていると言います。そんな手軽な「ヨーロッパ最高峰」に年間2万人もの登山者がアタックするそうです。

たしかに見た目にも、特にシャモニ側から見るモンブランの姿からは、マッターホルンやアイガーのような、人を寄せ付けない「圧倒的な威圧感」のようなものは感じられません。

モンブラン表の顔

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*呪われた魔の山

しかしモンブランは古くから多くの登山家の命を奪ってきた「魔の山」として知られ、比較的難易度は高くないと言われる今ですら、年間に多くの事故が起きているといいます。シャモニからの見た目の柔らかさとは裏腹にその懐はとても厳しく危険だということのようです。

モンブラン裏の顔

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実際、登山ルートのあちこちに危険な場所があるというのも事実のようだけど、当時モンブランが難攻不落と言われていた理由は意外なところにありました。

モンブランで夜を過ごした者は生きては帰れない」という山の迷信。

シャモニの村からモンブラン山頂まではたっぷり2日はかかると言われ、一晩から二晩山の上で過ごさないと登頂はできない。魔の山、呪いの山で夜を過ごすことに怖気付いた登山家たちは、「人類初のモンブラン登頂者」という栄誉を迷信によって妨げられていたわけです。

 

*登頂への狼煙?

モンブラン登頂に向けて兆しが現れます。きっかけは1760年、スイス・ジュネーブ博物学ソシュールモンブラン登頂を果たした者に莫大な賞金を出すと宣言しました。ソシュールは別に初登頂の栄光が欲しかったのではなく、科学者としてモンブランの山頂で科学的調査をしたかっただけ。そのためのルートを確保したかった、というのがその動機でした。名誉とか栄光とか何かメラメラした欲求とかとは違った、技術者的な平坦発想だったところが何か共感してしまいます。

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そしてその懸賞金のために、呪いの迷信をものともしなかった一人がジャック・バルマ。水晶ハンターで冒険家だった彼が欲しかったのは初登頂者の栄誉よりも多額の賞金。

そしてもう一人、医師であるミシェル・パガール。彼は賞金が欲しかったわけでも初登頂の栄誉が欲しかったわけでもなく、ただモンブランに魅せられていた。そして科学的な興味として山頂の気圧を知りたかった。

二人とも登山家ではなかったし、ソシュールと同じく名誉、栄光には興味のない二人(バルマの懸賞金欲しさはドロドロしたものを感じますがね)が魔の山征服に向けて大きく動き出しました。

 

*迷信が消え

最初1786年6月に二人は別々にアタックを試みましたが失敗に終わります。その時冒険野郎のバルマは悪天候に進むも戻るもできず、嵐の中、氷河の上に一晩中とどまらざるを得なくなります。その時、雪に身を埋めて嵐が去るのを待ち、かろうじてでも無事生還することができたのでした。バルマが夜の猛吹雪を乗り越えて生還したこの時、いままでモンブラン登頂を阻んできた迷信は過去のものになります。

その2ヶ月後にバルマとパガールは手を組み、再度それぞれの欲望のために魔の山に挑みます。

8/7午後にシャモニの村を出発、ボソン氷河の横の山上で一晩過ごし、8/8 午前4時に出発し、18時23分ついに二人は魔の山モンブランの山頂に立ちました。パガールは山頂で念願の気圧の測定を行いました。

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下山途中、パガールは帽子を失ったために雪盲となってしまい、最後はバルマに手をひかれてやっとのことでシャモニへ到着した。

 

*望まざるも英雄に

こうして二人はそれぞれの欲望を満たし多額の賞金を手に入れました。そして英雄として迎えられ歴史に名を刻むことになります。ジャック・バルマは名前に「モンブラン」を冠する特権を当時の王様から与えられました。

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さて、多額の懸賞金を設定したソシュールはというと、天候に恵まれずモンブランに登頂できたのは1年後 の1787年8月となりました。このとき氷河の調査や科学実験をモンブランの山頂で行い、懸賞金の発表をしてから27年かかりましたが、こちらも夢を果たすことができたわけです。

ちなみにソシュールが登頂したときの様子として、こんなことが伝えられています。召使い1人とジャック・バルマ含むガイド18人をひきつれての登山行。持ち物は食料と実験道具、テントや登山道具はもちろん、なぜか折り畳み式ベッド、清潔なシーツに毛布、フロックコート上着、チョッキ、ワイシャツといったおしゃれ着数着、スパイク靴数足、革靴、そしてスリッパ等々、登山とは思えないたくさんの荷物を携えてのモンブラン登頂だったそうです。

 

こうしてアルプス最高峰モンブランの登頂はなされました。「初登頂」には興味がない、登山家ではない三人の力によって。

そして、このバルマとパガールによるモンブラン登頂によって近代登山の幕が開けるのでした。

 

ちなみにその後のアルプス名峰の初登頂は。。。。

1811/8/3 ユングフラウ(Jungfrau 4158m) マイヤー兄弟初登頂

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1855/8/1 モンテローザ(Monte Rosa 4634m) チャールズ・ハドソン初登頂

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1858/8/11 アイガー(Eiger 3970) チャールズ・バリントン初登頂

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1865/7/14 マッターホルン(Matterhorn 4478m) エドワード・ウィンパーら初登頂

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そしてアルプスではないけれど

 1953/5/29 エベレスト(8849m)

 

 

モンブラン登頂はアルプス名峰制覇の先駆けだったんですね。

 

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