cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

モン・サン・ミシェル 6  ラ・メール・プーラール

f:id:fukarinka:20210213141653j:plainラ・メール・プーラール(La Mère Poulard)はモン・サン・ミシェルに入ってすぐ王の門の手前にあるホテル・レストラン。名物のオムレツがとても有名です。

ラ・メール・プーラールの発祥は19世紀に遡ります。

15世紀からモン・サン・ミシェルは牢獄として使用されるようになります。フランス革命のあとは国家公認の監獄となり「海のバスティーユ」とよばれ不名誉な時代を過ごしていました。そして1863年についに牢獄が閉鎖され大修道院が復活し一般公開されるようになってから、巡礼者が戻り、大勢の観光客がモン・サン・ミシェルを訪れるようになりました。

f:id:fukarinka:20210213180045j:plainそんなモン・サン・ミシェルへの訪問者を手軽におなかが膨れる食べ物で迎えようと考えたのがアンネット・プーラール夫人(Annette Poulard)。1888年にはじまった極厚のオムレツと夫人の暖かいもてなしでお店は評判になり、オムレツもお店もモン・サン・ミシェルの名物となったのでした。

お客さんをもてなすプーラール夫人は、まるで子供を迎える母のようだったと言います。「良い旅でしたか?お腹空いてるでしょう?すぐにテーブルを用意しますよ。時間をかけてゆっくり食べて・・」お店の名前が”Mere Poulard(プーラールお母さん)”である所以です。

 

これは現在の(といっても2000年当時)ラ・メール・プーラール。

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入り口では厨房が見られるようになっており、オムレツを作る様子が見られます。

すり鉢のようなものにオムレツのもとを大量にいれ(一体卵がいくつ入っているのか・・)、とてもリズム良くかき混ぜます(右の男性)。この作業は相当な体力が必要です。厨房には古くしぶい食器がたくさんありスタッフの服装といい19世紀の雰囲気満点です。

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かき混ぜが終わると、柄の長いフライパンみたいなものにいれ、厨房左のコンロで炭火で焼く。

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フライパン一つは二人分。レストランでは最初焼きたての巨大オムレツをお客に見せてから、お皿に切り分けてくれる。最初に見たときのオムレツの巨大さはかなりのインパクトがあります。好みによって、野菜やサーモンを添えて食べるスタイルです。プーラール夫人のようなもてなしはなかったけれど、とてもふわふわしていて不思議な食感のオムレツはとお店は19世紀の雰囲気を感じるに十分でした。

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この時はホテルにも宿泊しました。広くはなく幅広く巡礼者や観光客を迎え入れてきた、気軽な雰囲気が和みます。壁を覆い尽くすように古い写真やらポスターやらが埋め尽くされていました。 

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 このとき宿泊したのは最上階の屋根裏部屋。とても快適。今からするとブラウン管のテレビがなんとも言えませんね。

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屋根裏部屋外観

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 ラ・メール・プーラールは19世紀のモン・サン・ミシェルの旅人へのもてなし、名物の極圧オムレツを再現して振る舞ってくれます。当時のレシピから伝わるもてなしは、モン・サン・ミシェルへの巡礼旅がどんなものであったかを感じ取ることができるような気がしました。

 

*あのオムレツをいつかまた食べたいと思ってすごしていたら、東京丸の内に「ラ・メール・プーラール」の分店ができていました(海外初出店ということらしい)。ぜひいつか行きたい。と思っていたのですが、2021/2/14をもって閉店となったそうです。COVID-19の余波なのでしょう。とにかく残念です。

 

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