モン・サン・ミシェルと本土をつなぐ道ができたのは1877年。監獄としての役目を終え、修道院の活動を再開して間もない頃のことでした。
その後、鉄道を通していた時期もあったこの一本道は、巡礼者も観光客も安全にモン・サン・ミシェルに行き来できる重要な役割を果たしてきたわけです。
僕もこの道のおかげで、モン・サン・ミシェルに何事もなくたどり着き、周辺の干潟に降りて探検したりすることができました。
ここに初めて礼拝堂ができたのが708年だから約1000年もの間、モン・サン・ミシェルを訪れる人は、潮の引いている間だけこの干潟を歩いて渡って行くことができました。
しかしこの湾の潮の干満の凄さは世界有数で、満潮時は高さ15mまで満ちて、干潮では沖合18kmまで潮が引く。満潮に向かって潮が満ちる様子は「疾風の如く走る馬」に喩えられ、人が取り残されればあっという間に潮に飲み込まれてしまいます。また所々にある「浮遊砂」地帯は蟻地獄の如く人を捕らえて飲み込んできた。昔からこんな風にこの海で命を落とす人が絶えることがなかったといいます。モン・サン・ミシェルへ行く者は出発前に遺書を書いたというほど、この海を渡ることは命懸けだったのです。
実際に道を外れて干潟に降りると、特徴のある3つのエリアに大別されることがわかります。まずは比較的高い場所にある緑の台地。塩性植物でびっしり覆われています。その端は潮の流れで崩された、テーブル状の地形になっています。
潮が引くと緑のテーブルの小さな崖の下、ちょっと低いところに干潟の地肌が現れます。二つ目のこの比較的乾いた部分はフカフカだけど歩いて行ける。そして三つ目はもう少し低いところは水分が残ったペチャペチャしたところ。ここは普通の靴では歩けない。好奇心からどこまで行けるか試してみたけど、やはり3つ目のエリアはかなり勇気が要ります。途中足がハマりかけて、こんな時代に「200年ぶりにモン・サン・ミシェルの干潟で塩に飲まれる!!」というニュースになりそうで、すぐ引き返したけど靴はドロドロになりました。
モン・サン・ミシェル誕生から約1000年を経て、1877年にようやく安全な道ができたのですが、この堤防のような道が潮の流れを変えてしまい、この湾の自然環境は急速に崩れてしまいました。この100年余りでこの周辺に2mもの砂が堆積してしまい地形そのものも変えてしまいこのまま放置すればこの干潟そのものが失われる危険がある。
この干潟の入江は自然現象の宝庫。
その貴重な干潟を守るために1877年に作られた道を作り替える計画が立ち上がります。
2009年道が取り壊され、2014年に新しい橋が完成します。
下の写真の赤いラインが古い道の軌跡。
新しい橋は細い橋脚で支えられ、潮の流れを昔の状態に戻し、つなぐ先はモン・サン・ミシェルの入場口である前哨門。 モン・サン・ミシェルの前はずいぶんと様変わりしたらしい。
モン・サン・ミシェルをとりまく自然環境はこれからゆっくりと元の姿に近づいていくのでしょう。でも、次にモン・サン・ミシェルにいっても気軽に干潟を探検したり、朝干潟のなかからプチプチ聞こえた潮が満ちてくる音を聞いたりすることはもうできないのかもしれないと思うと少しだけ寂しい。