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旅行の記憶と何気ない日常を

モン・サン・ミシェル 5 歴史

 f:id:fukarinka:20210213182759j:plainノルマンディの街アブランシュ(Avranches)の司教オヴェールの夢に大天使ミカエルが現れこういった。

”かの岩山に我が名を讃える聖堂を建立せよ”

 オヴェールはそれが信じられず、夢に従わずにいると、大天使ミカエルは3度オヴェールの夢に現れ指先から放たれる光でオヴェールの頭を貫いた。その後オヴェールは古くから土着の信仰の厚かった海に浮かぶ岩山にモンサンミシェル、最初の礼拝堂を建立した。

このモン・サン・ミシェル誕生のエピソードは708年のこと。ここから長い修道院の歴史が始まりました

 

修道院黎明期 <8世紀 - 9世紀 >

礼拝堂を建てた後、聖オヴェールはここで修行する僧団をつくり活動したと言います。オヴェールが定めた会則に従ったその僧団の生活の様子は150年後の860年に巡礼に訪れた者による記録として古文書に残っているそうです。

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■ベネディクト派修道院 <10世紀〜>

966年:12人の僧がベネディクト派修道院を興すためこの地にやってきました。ベネディクト派の修道僧は賛美歌を歌い修行を行いつつ、約束されたエルサレム奪還を目指して神のために聖ミカエルに仕えて悪魔と戦う戦士でもありました。

この頃ベネディクト派の修道僧がオヴェール司教の伝説を広めたことで、ここはキリスト教でも最古の巡礼地の一つとなりました。

 

1000年:大教会の建設が始まります。当時の最先端建築、丸天井のラテン十字形、のちにロマネスク様式と呼ばれるスタイルでの建設が進み、聖堂建設は再建も含めて16世紀まで耐えることなく続きます。

12世紀に完成して20年、北側部分が崩壊し再建される。これにより現在でも北側と南側身廊のデザインが約100年という時間差により異なるものとなっています。

1204年:フランスとイギリスの戦闘により火災。北側の建物が崩壊する。

 

■ラ・メルヴェイユ誕生 <13世紀>

1211年:ラ・メルヴェイユ建設開始。当初3つの建物で構成される予定だった。2つは1228年に完成。第3の建物は建設されなかった。

このころ、アッシジの聖フランチェスコによる「宗教革命」、修道士は「貧しい人々とともに生きる」ことを説き、ベネディクト派の修道士もそれに従う。ラ・メルヴェイユの第三の建物の建設中止の理由でした。

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■要塞化の時代 <14世紀−15世紀>

1337年:フランスーイギリスで100年戦争始まる。

モン・サン・ミシェルに防衛設備の増強。城塞としての機能が加わる。

119人のフランス騎士がイギリス軍の侵入を許さず。10年もの間イギリス軍の攻撃をふせぎきる。

1420年:フランスの事実上の敗戦が決まる

1421年:教会の内陣が崩壊

1425年:陸海両方から完全封鎖されるが、イギリス軍に屈することなく防御。

1434年:イギリス軍による大砲での進撃もフランス騎士が撤退させる。

 

■監獄の時代「海のバスティーユ」<15世紀-18世紀>

15世紀:ルイ15世の治世下で監獄として使用始まり、「海のバスティーユ」と呼ばれる

16世紀:ルネサンスのころから修道士の数は減り、衰退していく

1776 年:聖堂のファサードと身廊が崩れ落ちる

 

修道院の終焉と国営監獄の時代<18世紀- 19世紀>

1789年:フランス革命で農民蜂起によって陥落

反革命を支持した修道士は去り、モン・サン・ミシェルは巨大な廃墟と化す

1792年:正式に国家の監獄として使用され始める(当時多く収監されたのは修道士たち)

1834年:教会が火災により崩壊

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修道院の復活  <19世紀〜>

1863年:監獄が閉鎖、修道士が戻りほそぼそと修復が始まる

1865年:ヴィクトル・ユゴーによるモン・サン・ミシェル紹介をきっかけに修道院でのミサが復活

1874年:国の歴史的建造物に指定となり本格的な修復が始まる

1877年:本土と地続きの道路で結ばれる(潮流が変化して湾の環境が変わってしまった)

 

■観光地として <19世〜>

1888年: ラ・メール・プーラール創業

1897年:鐘楼再建(尖塔の上に大天使ミカエルが置かれる)=ほぼ現在の姿に

 

1979年:「モン・サン・ミシェルとその湾」がユネスコ世界遺産(文化遺産)として登録

1996年:訪問

2000年:訪問

2009年: 地続きの道路撤廃

2014年: 本土と結ぶ新たな橋が完成

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708年礼拝堂が建てられてから、

約1000年の間、修道院として

約200年の間、要塞として

約400年の間、監獄となり

今にいたる140年ほどは修道院+観光地として

その姿を保ち続けているのです。

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