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旅行の記憶と何気ない日常を

レマン湖畔小話 〜 トロシュナ村への道

f:id:fukarinka:20200411182752j:plain当時、日本人と韓国人の多くの海外旅行者が手にする有名なガイドブックに"〇〇の歩き方"というのがありました。僕も愛用者の一人だった。

でもこのガイド、軽くて便利は便利なのだけど、そこに書いてあるすべてを信じると痛い目に遭うのです。地図の肝心なところがやたら大雑把だったり、あるはずのものが無かったり、僕自身これまでも何度か(も)そういった目に遭ってきました。特にマイナーな街や村の情報になるほど注意が必要。そんなわけで一部ではこのガイド、半分愛情も込めて"〇〇の迷い方"とも呼ばれてい他のです。


オードリーヘプバーンを敬愛する僕はこの年、彼女が晩年を過ごしたトロシュナ村と彼女のお墓を訪ねるためにスイスに行った様なものでした。

 

さて、トロシュナ村にはどうやって行けばよいのだろうと、"〇〇の歩き方"を開くと、「トロシュナ村へはローザンヌからジュネーブ方面…モルジュの駅からローカル線で一駅先にある」とある。僕は何の疑いもなくモルジュでローカル線に乗り換え、トロシュナへの列車に乗った。トロシュナ駅には程なく着いたのだけど駅に降りたとき息を飲んだ。そこは無人駅で確かに「Tolochenaz(トロシュナ)」と書かれている。しかも駅名以外何もない。地図もない。本当にホームがあるだけで他に何もない(ニヨンでサンセルグに行った時以上の状況だ)。

この日はこの後つぎの街へ行くためにすべての荷物を背負っている。駅のロッカーにでも荷物を預けて。。。というつもりだったのに。この荷物背負ってひたすら歩くしかない。まあ、重い荷物を背負って歩くのはいつものことだ。それよりも、村はどっちの方向だろう?きっとトロシュナ駅ってくらいだからトロシュナ村はすぐ近くにあるだろう、とその時はまだ軽く考えていた。

駅の外に出てみると、一応駅の周りには日本でいうマンションがあってちょっとした(でも寂しい)住宅地になっているが、そこは目指すトロシュナ村ではない。バス停はあるにはあるのだけど、どのバスに乗ればよいのか、どこを目指せばよいのか、バスは来るのか来ないのかすらわからない。歩くしかない。周囲を探索して「トロシュナ村あっち」という道路標識をなんとか見つけ、そちらの方へ目をやると、心を折るような一直線の道が遙か彼方へのびている。それでも何とか覚悟を決めて歩き始める。すると程なく周りにはブドウ畑が広がった。

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この年のヨーロッパはとても暑かった。スイスも例外ではなく、現地の人も異常だと言うほど暑かった。僕は荷物を背負い汗だくになりながらじりじり進んだ。ひたすら葡萄畑の間を歩き続け、さあ一体どのくらい歩いただろう?やがて?ようやく?交差点が現れ、ついに「トロシュナ村こっち」の標識が現れた。それに従って進んでいくと、閑静な住宅街に入っていった。

どうやらここはトロシュナ村だ。この落ち着いた雰囲気、多分間違いない。ついにたどり着いた!しかしここのどこにヘップバーンのお墓やらがあるのかさっぱり見当がつかない。

 

そしてついに、トロシュナ駅を出て初めて人に遭遇した。10代と思われる女の子だったが、英語が分からない。仕方ないので「オードリーヘプバーン」を連呼すると、身振り手振りで伝えようとしてくれた。ありがとう。

彼女が指し示した方へ進めどなかなかそれらしい建物が見えてこない。そして、今度は家から車で出かけようとする女性を捕まえて、再び「オードリーヘプバーン」を連呼する。すると片言英語で汗だくのあやしい東洋人にもかかわらず、快く道を示してくれた。ありがとう。

それにしてもこの村は「大きな屋敷」の家が多かった。それと人気(ひとけ)がない。結局、村の端から端まで歩いて出会ったのは2人の女性と子供が3,4人だけだった。

 

ここまで猛暑の中かなり歩いて、のどが渇くは、荷物は重いは、疲れたはで意気消沈。でも、目的地がすぐそばであることがわかって俄然元気が出てきた。そしてついに村の外れにへプバーンの記念館を見つけた。

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オードリーヘプバーン記念館に入っていくと、気さくなおじいさんと年配の女性が迎えてくれた。汗だくで大きな荷物を背負った訪問者に、記念館の人たちは同情してくれたのか、まずはアイスティーをご馳走してくれた。そして、私がどういうルートでここまで来たかを説明すると、「マジで?」と目を点にしながらさらにもう1杯お代わりさせてくれた。

記念館は村の人がボランティアで運営していて、今日の担当はこの二人。当番制だそうです。僕は「トロシュナの駅から歩いてきたんだ」というと、「そんな奴はいないぞ」とあきれ顔だった。どうもローカル線のトロシュナ駅は村をはるか通り越した先にあり、この記念館は村の反対の端っこにある。

なかなか汗は引かないのだけど、荷物を入り口の脇に置かせてもらって、中を見せてもらうことに。最初は僕以外誰もいない。

しばらく展示を見ているととても軽装の日本人のおばさまがひとり、来ているのに気づいた。この猛暑の中、涼しそうにしているそのおばさまに、気になってしょうがなかった事を聞いてみた。「どうやってここまで来ましたか?」無我夢中だったとはいえ我ながらバカな質問だと思った。答えは「ここに住んでるものです」。今度は僕の目が点になった。色々この村の様子を聞きたい衝動に駆られながら、やめておいた。

 

村の人たちが大切に丁寧に展示しているオードリーヘプバーンの記録をゆっくり観た後、帰りはおじいさんが最短での帰り方、バスの乗り場、時間を教えてくれた。記念館の目の前のバス停からおじいさんに見送られながらトロシュナを去りました。

 

バスは行きにわざわざローカル線に乗り換えた、モルジュの駅に向かった。しかも、モルジュまではほんの5分という距離。あんなに苦労しなくとも、こんなにスマートに来れるルートがあったとは。僕はずいぶん遠回りをしたものだ。

でもおかげで、トロシュナの広大な葡萄畑の中を歩き、トロシュナ村の人々と少しだけ交流できて、記念館でもVIP待遇(?)され、色々な話ができた。

〇〇の迷い方も時々は良い騙し方をしてくれる。

 

P.S.

上に綴ったのは、まだiPhoneが生まれる前、何もかもアナログな時代の出来事です。今ならiPhoneさえあれば全く知らない場所でも経路を示してくれるし、地図がなくて迷うこともない。便利で安全だけどその代わり怪我の功名的なことも少なくなるのかな。

 

今(2020年時点)のトロシュナ村のことを調べると、まずオードリーヘプバーン記念館は長期休館中、僕が迷い込んだトロシュナ駅は名前が変わったのか地図に出てこない。変わらないのは気さくな村の人々と共同墓地のオードリーのお墓だろうか?きっと今もオードリーヘプバーンのお墓の花は絶えることはないのだろう。

 

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