cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

シエナ10 小史

f:id:fukarinka:20211231030732j:plainトスカーナのこの一帯はどこの街もほぼエトルリア人の集落が起源といえるようです。シエナも同じでやはり最初にこの場所に集落を開き、街に発展させていったのはエトルリア人であることは、どうも間違いない。でも、古代エジプトギリシア、ローマの人々と違ってエトルリア人は記録を残さなかった。なので面白いことにルッカにしろピサにしろ、だいたい「街の起源はエトルリア人の集落が起源。たぶん」という感じに紹介されることになるのです。

 

古代ローマ

ローマの都市「シエナ・イウリア」として、当時の近代化が進む。でもローマ街道から離れていたこともあり、ひっそりと時間を過ごす。このことはキリスト教が伝わるのも近隣に比べ遅かった。

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■中世以前

ランゴバルド人が北イタリアに進出。ローマ街道とは違う交易路を設定した時、シエナはその街道上に置かれることになる。この時からシエナは発展するが、8世紀にカール大帝フランク王国に屈する。

 

■12世紀

都市国家としてシエナ誕生。市民による自治組織が台頭して金融と羊毛取引の拠点として発展を遂げる。

■13世紀

シエナ共和国誕生。ゴヴェルノ・ディ・ノーヴェ(Governo dei nove)(1287-1348)の時代、シエナは都市手として最盛期を迎えます。

1240年 世界最古の大学の一つシエナ大学開校

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■14世紀

教皇フィレンツェと皇帝派であるシエナの攻防。

シエナ美術

シエナ派〜ピューリズムに至る絵画

・キジーニャ音楽アカデミー

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f:id:fukarinka:20211103150648p:plainシエナシモーネ・マルティーニ(Simone Martini)聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知(1333)  Uffizi蔵

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f:id:fukarinka:20211103150648p:plain シエナ派 サセッタ(il Sassetta) 6人の天使を連れた聖母子(1344-1347)  Louvre蔵

 

1348年 黒死病(ペスト)により都市国家として大打撃。

 

■16世紀

1555年スペイン帝国フィレンツェ軍によってシエナ攻囲戦が4年にわたり、ついにシエナ共和国の崩壊。フィレンツェメディチ家支配下に置かれることになる。20世紀にイタリア統一まで、シエナフィレンツェの一部として過ごしました。

しかし、シエナ市民はシエナの誇りを持ち続け、シエナ独特の文化が醸成されます。

 

■18世紀 

イントロナーティ、フィジオクリティッチ、ロッツィ(演劇)といったアカデミーが創立。

 

■20世紀

1995年「シエナ歴史地区」として世界遺産に登録

 

謎の民族エトルリア。彼らは技術の民と呼ばれてるけれど、記録がないので「多分」とか「よくわからないが」となる。でもエトルリア人の技術力の高さはローマ人も認めローマの中に取り込んだのです。そんな謎のエトルリア人を起源に持つトスカーナの街々、そしてシエナにもまた、よくわからないといわれるけれど、間違いなくエトルリア人の息吹きを感じることができました。

 

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