トスカーナのこの一帯はどこの街もほぼエトルリア人の集落が起源といえるようです。シエナも同じでやはり最初にこの場所に集落を開き、街に発展させていったのはエトルリア人であることは、どうも間違いない。でも、古代エジプトやギリシア、ローマの人々と違ってエトルリア人は記録を残さなかった。なので面白いことにルッカにしろピサにしろ、だいたい「街の起源はエトルリア人の集落が起源。たぶん」という感じに紹介されることになるのです。
ローマの都市「シエナ・イウリア」として、当時の近代化が進む。でもローマ街道から離れていたこともあり、ひっそりと時間を過ごす。このことはキリスト教が伝わるのも近隣に比べ遅かった。
■中世以前
ランゴバルド人が北イタリアに進出。ローマ街道とは違う交易路を設定した時、シエナはその街道上に置かれることになる。この時からシエナは発展するが、8世紀にカール大帝のフランク王国に屈する。
■12世紀
都市国家としてシエナ誕生。市民による自治組織が台頭して金融と羊毛取引の拠点として発展を遂げる。
■13世紀
シエナ共和国誕生。ゴヴェルノ・ディ・ノーヴェ(Governo dei nove)(1287-1348)の時代、シエナは都市手として最盛期を迎えます。
1240年 世界最古の大学の一つシエナ大学開校
■14世紀
シエナ美術
・シエナ派〜ピューリズムに至る絵画
・キジーニャ音楽アカデミー
シエナ派 シモーネ・マルティーニ(Simone Martini)聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知(1333) Uffizi蔵
シエナ派 サセッタ(il Sassetta) 6人の天使を連れた聖母子(1344-1347) Louvre蔵
■16世紀
1555年スペイン帝国とフィレンツェ軍によってシエナ攻囲戦が4年にわたり、ついにシエナ共和国の崩壊。フィレンツェ・メディチ家の支配下に置かれることになる。20世紀にイタリア統一まで、シエナはフィレンツェの一部として過ごしました。
しかし、シエナ市民はシエナの誇りを持ち続け、シエナ独特の文化が醸成されます。
■18世紀
イントロナーティ、フィジオクリティッチ、ロッツィ(演劇)といったアカデミーが創立。
■20世紀
謎の民族エトルリア。彼らは技術の民と呼ばれてるけれど、記録がないので「多分」とか「よくわからないが」となる。でもエトルリア人の技術力の高さはローマ人も認めローマの中に取り込んだのです。そんな謎のエトルリア人を起源に持つトスカーナの街々、そしてシエナにもまた、よくわからないといわれるけれど、間違いなくエトルリア人の息吹きを感じることができました。