ヴェローナの起源は有効な史料がのこっておらず、先史時代からここに集落があったことはこの土地の出土品から推定されているそうです。不確かながら歴史を辿れるのは紀元前550年ころだとか。。
紀元前550年頃
謎?の民族ユーガネイの集落がこの地に発生
ユーガネイ(Euganei)はアドリア海からアルプスのあたりに住んでいた原始イタリア語民族。
■ローマ人の支配
紀元前300年頃
ローマ人に征服され同盟関係を結ぶ
ローマがハンニバル率いるカルタゴと戦った第2次ポエニ戦役などでローマの同盟都市として参戦しローマの信頼を得る
紀元前89年
紀元前49年
ムニキピウム(自治都市)となり、ローマ都市のインフラ整備される
このころの街の中心はフォロ(Foro, Forum)=現在のエルベ広場
ヴェローナは古代ローマの高速道路にあたるローマ街道のうち4本が交差するという交通の要衝でもあったことで都市として急速に発展します。またその反面、将来いろいろな争いに巻き込まれる運命もこの時に確定する。
紀元前30年頃
円形闘技場完成
4世紀
313年ミラノ勅令発行後、緩やかにキリスト教の影響下に
■ゴート人の支配
476年
西ローマ帝国皇帝がゴート族に追放され、ゴート人のイタリア王オドアケル誕生
489年
東ゴートのテオドリックがオドアケルとヴェローナを舞台に戦い、勝利。
テオドリックがそのままヴェローナに滞在し、街を修復再建、ヴェローナは東ゴート族の街になる
*この時期ヴェローナは事実上イタリアの首都となる
554年
■ゲルマン人の支配
569年
ランゴバルド族の支配
ゲルマン部族のランゴバルド族は古代ローマの時代からローマ領内への侵攻を繰り返してきました。彼らはこの時期、西方領土の安定に精一杯だった東ローマ帝国の隙をついて、北イタリアを中心にランゴバルド王国を建国したのでした。
774年
フランク王シャルル1世(カール大帝、シャルルマーニュ)によりランゴバルド族を追放、
1117年
大地震(M6.9 ヴェローナ近郊震源)により、3万人が犠牲、街は大きな被害を受ける
円形闘技場が3層の最外郭を失ったのはこのとき。
■イタリア人による自治
1136年
自由都市(コミューン)となり少数有力貴族による統治(寡頭政)を敷く
13世紀
パドバ、ヴィチェンツァ、トレントを支配下に置きヴェローナの力は増していく。
ヴェローナの支配は有力な貴族スカジェリ家、ヴィスコンティ家、カッラーラ家と推移していきます。このときヴェローナ支配権をめぐった家同士、派閥同士の憎悪が増長、争いが耐えない暗黒時代に。それを背景とした物語が生まれ、この300年ほど後にシェイクスピアがヴェローナを舞台にした戯曲「ロミオとジュリエット」を発表、これが時代を超えて世界駆け巡ることになる。
1405年
ヴェネツィア共和国の支配下(以降400年ヴェネツィア支配下で発展)に。
とくにルネサンス期ヴェローナは商業、文化の中心として栄える。
17世紀
ペストの流行
とくに1630年からのわずか2年間で人口の60%以上の33000人が死亡したといわれます。ペスト恐るべし。
■フランス人とオーストリア人の支配
1797年
ナポレオンのイタリア遠征でヴェネツィア共和国が滅び、ヴェローナはオーストリアの支配下に
1805年
1814年
1822年
ヴェローナ会議(ロシア、オーストリア、プロセイン、フランス、イギリス 五カ国同盟会議)が行われ、その余興として円形闘技場でロッシーニがオラトリオを演奏。
■イタリアの中のヴェローナ
1866年
3度に及ぶイタリア独立戦争によってヴェネツィアと共に1861年に成立したイタリア王国の一部となる
20世紀
ファシズムの台頭
ヴェローナは反ファシスト、ユダヤ人、連合軍関係者の投獄地にとなってしまう
*イタリア王国は第2次世界大戦ではドイツ、日本と同盟を組み敗戦国になる。終戦後の1946年国民投票により王政を廃止して、イタリア共和国が誕生した。
2000年
ベローナ市街が世界遺産に登録される。